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いかに寝て起くる朝に言ふことぞ昨日をこぞと今日をことしと(小大君)
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Facebookの良さは、いまだにわかりません。
TwitterやInstagramも、かつてのmixiも、たぶん昔やっていた文通や交換日記よりオープンでお手軽なコミュニケーションツールなのでしょうけれど、それと同時に文通や交換日記にはない危険も孕んでいて、浅はかで短絡的な自分には向いていないと感じ、誘われても流していました。
Facebookを勧められた時も、ビジネスをやっているわけではないし本名登録なんて絶対に嫌だと即座に断りました。私の中で、ネット上は仮想空間であり、自分以外の何者かになるための場所というイメージでした。自分の名を冠しない解放感を味わうことがSNSのメリット、そして無責任ゆえに歯止めが効きにくいのがデメリットだと思っていました。
その価値観を180度ひっくり返したのがFacebookでした。
もはや若者たちにとって、ネットは仮想空間ではありません。大学や寮の肩書、物理的距離を消滅させてくれる場所であり、人脈と視野を広げるためのリアルなコミュニケーションツールのひとつとなっています。
この映画の中で、その世界はひとりの天才の指から生み出されます。
きっかけは、彼女にフラれたことでした。
フラれたことに納得いかない彼は、彼女の悪口をブログに書きつらね、おまけに大学のサーバーにハッキングし女学生の写真をネットにアップして容姿のランク付けをします。
そんな小さないたずらが、やがて世界最大規模のSNS・Facebookの誕生へとつながるのでした。
ただ、この作品で描かれているのは、「Facebookはいかにして生まれたか」ではなく、「最後まで孤独な主人公」です。
Facebookで巨万の富を築いた彼が結局得たものとは、何だったのでしょう。
ともにFacebookを立ち上げた親友は去り、彼女も戻ってはきませんでした。
誰とでも繋がれるコミュニケーションツールのFacebookを作り上げた彼が、本当に繋がりたい人とは繋がれない。そんなラストシーンで、物語は幕を閉じます。
マーク・ザッカーバーグの周囲から浮き立つ「天才」ぶり。脚本を詰め込むためという早口の台詞回しが、それをより強調していました。しかしこの映画の良いところは、天才を際立たせるために配置されがちな「普通」の脇役たちも、それぞれフラットに描かれているところです。
彼を振ったエリカも、親友を訴えたエドゥワルドも、スクールカーストの下層階級に一杯食わされたことに怒るボート部員も、それぞれがマークとコミュニケーションを持とうとし、そして失敗しました。マークは彼らの気持ちを理解しようとはしませんでした。理解してほしいと望みながら、理解されようとはしませんでした。
結局は、対話であろうが、「いいね!」であろうが、コミュニケーションが人と人との繋がりである以上、相互理解への努力が必要なのです。
マークがそのことに気づき、相手へ心を向ける時は訪れるのでしょうか。
私にとってFacebookは無縁の存在であり、それを作り上げた過程も現実のマーク・ザッカーバーグにもさして興味はありません。よって実際より大きく脚色されているというこの物語も、最初から「ひとりの天才の物語」というフィクションとして楽しめました。天才のお話はもう何作も観ていますが、結局天才とはどんな国のどんな時代の人間でも、結局孤独になってしまうものなのだなと切なくなってしまいます。








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