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いかに寝て起くる朝に言ふことぞ昨日をこぞと今日をことしと(小大君)
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私も音楽というものに夢中になったことがありましたが、所詮学生のサークル活動の一環にすぎませんでしたし、そこまで真剣に打ちこむことはできませんでした。
そのわずかな期間で感じたことは、音楽に答えはないということです。誰もが同じ音符を奏でながら、作り上げるのは自分だけの音の世界。演奏とは真っ白なキャンバスに自分なりの世界を描き出す作業。演奏家もつまりは芸術家です。
そしてその芸術家ひとりひとりをまとめ上げ、さらなる新しい世界を作り出すのが指揮者。音も性質も何もかも違ういくつもの楽器が、指揮者によってひとつの音になり、ひとつの芸術になる。舞台演出家や映画監督に似ていると思います。
蜷川幸雄や李相日は、芸術のためなら妥協しないとばかりに役者を追い込むことで知られていますが、この作品に登場するフレッチャーもいっさいの妥協を許さず、生徒たちの前に立ちはだかります。
ただ、フレッチャーの信念はあまりにも度を越えています。彼に見いだされることは音楽院の生徒にとってひとつのステータスでしたが、彼の世界に迷いこんでしまったニーマンも、芸術の狂気に取り込まれていってしまうのです。
ごくごく平凡な世界観に生きる自分はこの作品のラストを、音楽院を追われた鬼教官のフレッチャーが改心して一度は音楽を捨てたニーマンとともにジャズバンドで仲良く演奏を楽しんでいくものだ(いや、そうであってほしい)と思っていました。
しかし、芸術に生きる彼らの世界観はそんなぬるいものではない。
穏やかな顔でバンドに誘い、和解したと見せかけて、フレッチャーはニーマンに嘘の曲目を伝えていました。ニーマンは本番曲の楽譜を持っておらず、ドラムを叩くことができません。もちろん、曲は台無しです。
メンバーに詰られ、フレッチャーには軽蔑のまなざしを向けられ、舞台上で孤立するニーマン。
それが、フレッチャーの復讐でした。
音楽祭という大きな舞台で、集まったスカウトたちの前で、演奏が成功すればブルーノートとも契約できる、バンドメンバーにとって重要であるはずの舞台で、フレッチャーはみずからの復讐のために、演奏を台無しにしたのです。
フレッチャーはみずからの世界にしか生きていません。
バンドも、音楽祭も、彼にとって何ら意味を持たないものです。
彼は彼の音楽だけを求め、彼の求める世界を楽器に求めました。それを演奏する人間はただの個体に過ぎない。彼の求める音を生み出さない個体はただの無駄な塊で、彼の世界からは簡単にはじき出される。彼はずっとそう生きていました。
ニーマンも、ただの個体のはずでした。
しかしニーマンもまた、みずからの音楽の世界に生きる芸術家でした。
フレッチャーに対し真っ向から立ち向かい、彼の世界を侵食する。そんな力を持った芸術家でした。
ラスト、9分19秒。
その舞台の上には、フレッチャーとニーマンしか存在しませんでした。
厳密には、彼らの音楽の対峙だけでした。
ニーマンのドラムはまるで鋭い刃のように、フレッチャーへ襲いかかります。
一方的に攻撃されていたフレッチャーですが、彼はやがてその刃を受け止め、流し、反撃を仕掛けます。
それを激しいビートではね返すニーマン。
観る者までが体を切り刻まれ血を流すような凶器と狂気。
いつしか彼らは剣劇を演じていました。
憎み合い、復讐心に駆り立てられていたふたりが、刀を交わし合うように真っ向から互いの音楽をぶつけて生まれたのは、誰も侵すことのできない究極のセッションでした。
答えのない音楽、その果てにあるものは何なのか。
それはこの舞台の上、フレッチャーとニーマンだけに見えていたのかもしれません。
否。このセッションのタクトを振った監督もまた、その世界を目にしていたはずです。







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