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いかに寝て起くる朝に言ふことぞ昨日をこぞと今日をことしと(小大君)
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『鎌倉殿の13人』
あっという間に感じた48回でした。
壮大な歴史の大回転に、終わった後もなお圧倒されています。

最後まで緊迫感、緊張感、そして血腥さを失わない、一年通して中だるみなく、筋の通った作品でした。
個人的に思い入れある時代の大河にはどうしても厳しくならざるを得ないのですが、これに関しては感服しています。謀略と殺し合いしかない鎌倉創成期の暗部をいったいどのようにエンターテイメントとして消化するのか、期待と達観半々で待ち受けていたのですが、いやさすがは三谷幸喜。緩急のついた脚本で、源平合戦以降もスピード感を保ちながら最後まで目の離せない展開にしてくれました。

数多の血痕の上にまつり上げられた三代将軍・実朝。彼は武家の棟梁にはおよそ似つかわしくない穏やかさと優しさと、後継を残すという義務を果たせない性質を持って生まれてきました。将軍の身でありながら大事な友も守れない己の無力さに絶望する日々の中、彼に与えられた安らぎは、夫としてふさわしくない自分を受け入れてくれる妻、そして和歌を詠む時間。しかしそのわずかな安寧も、この不安定な政情では守れるはずもありませんでした。
実朝を父の仇と憎む公暁。彼もまた、激しい運命に翻弄された鎌倉の子でした。優しき将軍は、心を開けばわかりあえると信じ、そしてその切なる思いが通じなかったと知った瞬間でさえも、己の命運を相手に託しました。それは公暁への贖罪であったのかもしれないし、もしかしたら兄のように自分もいつかはこうなるとずっと覚悟していたのかもしれません。
実朝の和歌はどれも穏やかで、かつその裏に悲しみを秘め、そして触れれば壊れそうなほど繊細なバランスで成立しているような印象を受けます。おそらく生まれる時代と場所が違っていれば、決して悲劇の将軍などという形容はされることなしに、稀代の歌人としての名のみ残して後世まで伝えられたようにも思うのです。
そんな彼が慕ったのが、芸術性とは正反対の場所にいる和田義盛というのも、自分にないもの(武芸だけでなく、他人に左右されない意志の強さ…というか鈍感力)への憧れだったのかなという気がします。

実朝の短い生涯を演じたのは柿澤勇人。アーティストらしい浮世離れ感は、権謀術数渦巻く鎌倉殿において特異な存在感を放っていました。
泰時への特別な想いはどうやら…という匂わせは、子を成し得ることがなかったという史実から着想を得たのでしょうが、現代的な設定であることは置いておいて、あの時代跡継ぎを作らなければ許されない将軍の立場との板挟みに苦しむ実朝の悲劇性と、かつそれを受け入れた妻の存在が彼にとってどれだけ救いであったかが強調されていて効果的だったと感じました。
実朝に感情移入すればするほど、意のままにならぬ彼を弑する主人公の印象は、よりダークサイド側に追いやられます。
義時はみずからの手を数多の血で汚しました。盟友も、幼子も、愛する妻の家族も、甥である主もいとわずに、その命を奪っていきました。
結果、義時は鎌倉幕府の最高権力者となりました。しかし彼が実権を握れば握るほど、その表情は、衣装の色のごとく暗くなっていきました。
義時はわかっていたのかもしれません。多くの屍の上に立つ今の鎌倉は、目指していたところでは決してないと。真の坂東武者の世ではないと。
そしてそれは、自分を批判ばかりしてきたまっすぐな息子が、この先完成させてくれるだろうと。
展開を追ってきて意外だったのは、政子が政争の外にいたことです。義時と政子姉弟が幕府の礎を築き、承久の乱で鎌倉を一枚岩にしたのだと思い込んでいました。
しかしこの作品内の政子は、どちらかといえば綺麗な場所に居続けていました。頼朝を信じ、家族を大切に思い、御家人や民への慈愛も深い美しい後家尼でした。頼家の死に至る比企との権力闘争でも、政子が割り込む余地はなく、息子の死の真相も最後まで知ることはありませんでした。
つまり、北条が確固たる地位を築くにあたって汚れ役は義時が一手に引き受けていたのです。
そして命の瀬戸際に立ちながらもなおその手を血に染めようとする義時を、家族思いの政子が受け容れるはずもなく。
義時が求めた薬を、政子は流し捨てました。
それは、弟を見殺しにすると同時に、義時ひとりが背負ってきた業を自分も担う覚悟を決めた瞬間であったのではないかと思います。
そもそもは、実衣の言ったとおり政子と頼朝の縁から始まったことでした。
ならば自分だけが極楽浄土へ行くわけにはいかないと決意したのかもしれません。

そして義時の遺志を継いだ泰時によって、北条の地位は確固たるものとなりました。
この先、北条の世は150年続きます。その終焉は『太平記』に描かれるとおりですが、鶴丸の子孫が政権を恣にした挙句、北条と近しい関係にあった足利によって滅ぼされたことを思うと、何やら歴史の皮肉を感じます。

ドラマは終わりましたが、鎌倉から争いがなくなったわけではありません。伊賀氏の変でしぶとく暗躍する三浦義村は山本耕史の姿でたやすく想像できますし、どうせならその三浦氏が滅ぶ宝治合戦まで描いてほしいくらいです。
と、そんなことをしていたら一年で終わるわけがありません。すぐ次が控えています。徳川家康か…正直まだ描く余地があるのかな…とあまり気の乗らない題材ですが、脚本が古沢良太ですから観ないわけにはいかないでしょう。ひと味違う家康の登場を期待します。









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夜ごはんは《越前鮮魚店》へ。



突き出しだけでビールがはかどる…。

今日のおすすめ、メジマグロ炙り造り!


と、越前岬本醸造。日本酒最高!

浜焼セットは一人前でこのボリューム…。

サザエはすでにお腹の中です。

勢いにまかせてデザートまでいただいてしまいました。


くくく苦しい…。

胃もたれのする翌朝はえちぜん鉄道で勝山へ向かい、さらにタクシーで目的地へ。

勝山といえば恐竜博物館が有名ですが、お目当てはこちら。



平泉寺白山神社。

白山信仰の拠点となった場所です。
戦国時代には多くの僧兵を抱えた宗教都市として繁栄しましたが、一向一揆勢に攻められ全山焼失。その後明治期の神仏分離令により白山神社と名を変え、今もその歴史を後世に伝えています。



アクセスが良くないせいか、観光客も少なく、ひっそりとしていました。



立ち並ぶ木々と苔に囲まれた静寂な参道。心が洗われるようです。

平泉寺の名の由来となった御手洗池。


池のほとりには御神木があります。



二の鳥居は少し変わった形をしています。神仏習合の鳥居の特徴のようです。



拝殿も厳かです。




本社に参拝した後、さらにその上へ。

どこを歩いても、苔むした静けさに包まれます。



パワースポットにもなっているようですが、いわゆる「気」とはこのようなものなのかもしれないと感じます。

 

楠木正成の墓所がありました。


どうやら、楠木公の縁者だった平泉寺の僧が彼の幻を見たことに起因するようです。

参道をはずれると、中世の発掘現があります。


…が、そこにたどりつく前に行き詰まってしまいました(足が限界)。

参道に戻り、社務所へ。無人のため御朱印はお金を置いて書置きをいただいていくスタイルです。
その奥には旧玄成院庭園。案内も目立たないのでスルーするところでした。



お腹もすいてきたのでお昼ごはん。

神社前にある《まつや》へ。

福井といえば、おろしそば!


おそばもおだしも美味でした!(なぜかゴディバがついてきました)


帰りはコミュニティバスを利用するつもりでしたが、まだ時間があったためすぐそばの白山平泉寺歴史探遊館へ。
小さな建物ですが、発掘調査で出土した遺物が多く展示されており映像ガイダンスも充実しており、なかなか面白かったです。参拝前に勉強しておくべきでした。
山岳信仰はやはり興味深いです。

敦賀や東尋坊も行きたかったのですが、スケジュールと体力的に強行できなかったのが残念です。
そして冬の永平寺にも再訪してみたいです!!




紅葉狩りに行きました。
行先は、福井県。

到着したら、まずはお昼ごはん。
福井といえば、ソースカツ丼!

ということで、福井駅から徒歩10分ほどの《ヨーロッパ軒》へ。
写真のカツの大きさにたじろぎ、小カツ丼セットにしたのですが…。



小とは思えないボリューム!
しかし衣が脂っこくなく味も濃すぎないので、ペロリといただけました。

お腹を満たした後、バスでいざ出発。



永平寺!



お天気はちょっとイマイチですが…。





かなり色づいていました。



中はとっても広くて驚きました。

圧倒されたのは傘松閣の絵天井。



この中で5枚の絵を見つけると願いが叶うと聞いていたので…。
首を痛めながら頑張って探しました!

白い鯉


黒い鯉


青い獅子



あと、白い獅子と栗鼠がいたのです。
見つけたのです。見つけたはずなのに…写真を撮り忘れて…。
戻ったら、もう見つけられない!
煩悩の塊のような人間ですからね…もう会えないのですね…。





修行僧とすれ違うこともありました。お坊さまはもちろん、撮影不可のお堂もあります。



お寺全体に、厳かな雰囲気が流れています。











紅葉を堪能した後、再びバスで移動。
行先は、一乗谷朝倉氏遺跡の復原町並。



できたばかりの博物館にも行きたかったのですが、あまり時間がないので付近を散策するだけにとどめました。





武家や町人の屋敷跡が立ち並ぶ史跡は壮観です。戦国時代の空気を感じました。



工事中の場所もありましたが、こんな「映え」スポットもあります。

 

こちらも綺麗な紅葉です。



鯉の泳ぐ堀の先は…。

大河ドラマでも観た唐門!



門の先は広大な朝倉館跡。


ここに! 義景が! 光秀が! …という妄想が膨らみます。

朝倉義景公墓所




南陽寺跡庭園



湯殿跡庭園


孝景公墓所


諏訪館跡庭園



丘を登り下り…かなりの運動になりました…。





11/27 vsコスタリカ ●

ドイツ戦に勝利したことですっかり気を良くし、万全の体制で迎えた夜7時。「格上のドイツに勝ったのだからコスタリカにも勝って当然、もう決勝トーナメントは決まりっしょ!!」と、ここでもすぐ調子に乗る悪癖が…。
ドイツ戦からメンバーを代えてきた日本。チャンスは何度もあったように見えました。しかしドイツ戦と違って、ゴール前のパスがなかなかつながらない。真ん中でボールをもらってもすぐに攻めに行かない。もちろんコスタリカの守備が強固だったせいもあるのかもしれませんが、ボール回しをして時間だけが過ぎていくシーンは、以前の弱かった時の日本チームのようでした。
もどかしさを感じたまま試合は進行していき、引き分けも見えてきた後半36分。自陣ゴール前で吉田のクリアは少し中途半端に見えました。あっと思った次の瞬間、一瞬の隙をつくように、相手のシュートが決まってしまいました。
残された時間はもうわずか。日本のチャンスはことごとく相手の守備に阻まれ、同点弾は生まれませんでした。
格下だったはずのコスタリカ相手に敗戦。
やはり勝負は何が起きるかわかりません。
この後行われたドイツ-スペインが引き分けたことで、グループEの行方は混沌。同時刻に行われる3戦目の結果に委ねられることになりました。


12/1 vsスペイン ○

えーっと、これ勝ち抜くにはどうなればいいの?



ふむふむ。
…なんだかどこかで見たような?



あれ? これに較べれば、勝ち筋多くない?
なーんだ勝てばいいんじゃん! こちとらオリックスが勝ったところで、ソフトバンクが勝てばそれで終わりだったんだからね!

とはいえ、相手はスペインです。日本が負けたコスタリカ相手に7点取った無敵艦隊です。
しかも試合開始は午前4時。
というわけで、「せめて引き分けで! コスタリカも頑張って引き分けて!」と祈りながら、寝ました。
4時半くらいに目が覚めてスマホをのぞくと、スペインが1点先制。しかもボール支配率80%という絶望的な数字を確認し、失意のまま二度寝しました。
そして起床したら、「日本勝利」の文字。
今年何度目かの「まさかやー!」を叫んでしまいました。

勝利の味はハイライトで何度もくり返し堪能しました。
先制された後も耐えて耐えて守り切った前半。そして満を持して攻撃的布陣を投入した後半、同点劇はわずか開始3分のことでした。堂安の弾丸ミドルシュート。こんな強いシュートを打てる選手が日本にいたのだと、驚嘆を超えて感動しました。
その3分後には、きっと後世まで語り継がれるであろう「三笘の1ミリ」! VARさまさまです!!
そこからのアディショナルタイム含めて50分近く、リアルタイムで観ていたら心臓が持たなかったことでしょう。守り切った、耐え切った日本!!
ブラボー!!!
(二度寝するんじゃなかった…)

試合前、1位通過なら決勝トーナメントでブラジルと当たるから2位を狙う…などというスペイン側の報道もありましたが、試合経過でどのチームにも勝ち上がりの可能性があった中、スペインが手を抜くことはなかったと思います。日本はスペインと真っ向勝負で戦い、そして勝った。その事実は疑いようがありません。

ただ、これは「ドーハの歓喜」ではあるけれど、「奇跡」では決してない。
日本がドイツやスペインと堂々渡り合えるチームになったのだと思います。もちろん、コスタリカとの試合内容は強豪国と言うにふさわしいとは思えません。ただ、「奇跡」ではなく「実力」なのだと誇っていいのではないかと、サッカー素人は思います。代表選手の多くは海外で活動していますから、相手国名を聞くだけで気後れするような感覚は持っていないでしょうし、「俺が決める」という良い意味で日本人的でないポジティブさも感じました。
頼もしい若者たちは、まだまだ新しい景色を見せてくれそうです。






11/23 vsドイツ ○

カタールといえばドーハ、ドーハといえば「ドーハの悲劇」。
当時はその言葉が世間で話題になったという知識くらいしかなく、次のワールドカップ最終予選で初出場を決めた(いわゆる「ジョホールバルの歓喜」)時には周囲の「よかったよねー!」という会話に「…ハァ、そうなんですか」という無味乾燥な返答しかできなかったほどのサッカー無知でした。
その価値を実感したのは、日本中が熱狂の渦に包まれた日韓ワールドカップです。そして自分ももれなくにわかサッカーファンに。
あの時は、日本がワールドカップに出ることも、ゴールを決めることも、ましてや決勝トーナメントに行くことも、まぎれもなく「歴史的快挙」でした。
最近は日本がワールドカップ出場してあたりまえという風潮です。ベスト16に残れなければ批判の的にもなります。今回もいつの間にか最終予選が終わっていて、気がつけば本大会出場が決まっていました。
隔世の感がありますが、それでも他の出場国に較べると日本のランキングは下の方。
今回のグループリーグの相手もドイツ・スペイン・コスタリカという強豪国。過去最高の成績を目指すという森保ジャパンですが、無知な自分でもドイツとスペインが強いのは知っていましたし、勝ち抜くのはその2国なのでは…とあまり期待していませんでした。
それでも勝負は何が起きるかわかりません。2015ラグビーW杯では日本が南アフリカを倒しましたし、この大会でもサウジアラビアがアルゼンチンに勝利するというジャイアントキリングがありましたから。
いざ出陣とばかりにテレビの前で迎えたキックオフ。
前半、いきなりゴールを決めた日本でしたが、すぐさまオフサイド判定。それでも何か期待感を抱かせてくれる積極的な攻撃でした。
しかしそれ以降なかなかチャンスは訪れず、逆に攻められる展開に。そして前半33分、PKを取られて先制を許してしまいます。
追う立場で迎えた後半。キーパーが再三のファインセーブでピンチを脱すると、ようやくその時が訪れました。後半30分。パスでつないで作ったチャンス、相手キーパーがはじいたボールを堂安がキックし同点GOOOOAL! さらには興奮いまだ冷めやらぬ38分、相手ゴール際まで走り抜いた浅野が勝ち越しGOOOOOOAL!! 一瞬何が起きたのかわからないくらいギリギリの角度、わずかな隙間! この10分間に起きた出来事は、おそらく日本のワールドカップ史上もっとも劇的な2発だったのではないでしょうか。
前半終了時は眠気に負けそうだったテンションは急上昇。まさかまさか、ドイツに勝ってしまう…?
そこからの時間はとても長く感じました。ただただ祈り、迎えた試合終了のホイッスル…。

信じられなーい!
起きてて良かったー!

本当に、勝負は何が起きるかわかりません。サッカーに詳しくない自分は、翌朝、さまざまな有識者の語る試合評で勝因を知りました。それは、森保監督の大胆な采配。後半から敷いたリスク覚悟の攻撃的布陣が機能したこと。一見博打のような采配で勝利をものにした中嶋監督と重なるところがあるように感じました。ボール支配率もシュート数も相手が上回る中、数少ないチャンスをものにし守り切ったところも…オリックスみたいじゃない? ということは…。いやいや、これもまた「勝つと思うな」案件なのかも!




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