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いかに寝て起くる朝に言ふことぞ昨日をこぞと今日をことしと(小大君)
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『なつぞら』
朝ドラにスピッツキターーーーーーーー!!!!!
毎朝…は聴けないので、毎晩録画で主題歌をとばさずに癒されています。
そして、チビなつちゃんと草刈正雄に泣かされています。
戦災孤児というだけでもう泣けるのに、けなげに生きるチビなつちゃんの姿。素直でいじらしいなつの姿にほだされて周り全員が助けてくれる、というお約束の展開かと思いきや、ちゃんと柴田家の子どもたちの反発や抵抗感、頑固じじいのツンデレ、感情をすべて抑えて我慢するいい子を演じていたなつの爆発と、順序をもって描かれていたので、なつが柴田家で暮らすことになる過程もすんなり受け入れられました。
演出も素晴らしく、なつが川原で「どうして私には家族がいないの!」と泣き叫び泰樹が抱きしめる場面は、もし朝ドラ名場面ランキングがこの作品の放送後であったなら、間違いなくベスト3には入っていたのではないでしょうか。
柴田家父母に農家感がないところ、成長したなつと天陽が美男美女すぎる以外は、今のところ大満足の100作目です。

『いだてん』
ふるわない視聴率ばかり話題になっていますが、オリンピック大好き人間としては毎週楽しく観ています。コレ大河ジャナイ感はもちろんありますが。
あの時代、ましてや日本初のオリンピック出場、「国を背負う」責任感は現代の比ではなかったと思います。ストックホルムまでの長い道中、荒んでいく金栗と三島の心模様、そして世界との差を見せつけられながらも日本代表としてのプライドが芽生えていく流れは自然で、負けるとわかっているのについ力を入れて応援してしまうほどでした。
途中棄権という結果に終わったはじめてのオリンピック、その道程をガイドとふたり静かにたどっていく演出も素晴らしかったです。
印象的だったのは登場時からどこかつかみどころのなかった金栗の目力が、徐々にアスリートのそれに変わっていったことでした。クドカン作品は『あまちゃん』と『監獄のお姫さま』くらいしか観ていませんが、どちらも当初は個性的な脇役が目立ち、主人公にはあまりインパクトがないのですが、話が進むにつれてどんどん主人公が魅力的になっていき、やがて舞台の中心に躍り出て脇役たちをバックダンサーにスポットライトを浴びて輝き出します。この大河でもやはり当初は嘉納や天狗倶楽部、熊本の人びとなどの方が目立っており、どこか茫洋としている金栗は周囲に巻き込まれている構図が多く、金栗自身に能動的な思想が生まれるまで相当数の話を費やしました。歴史的に有名な主人公が多かった大河ドラマという枠では、ファーストインパクトの弱かった金栗で既存の大河視聴者を取り込めなかったのも無理はないと思います。
箱根駅伝の「金栗四三杯」は知っていても、金栗自身の生涯はまるで知識がありません。
これからの展開も大いに期待です。
ただ、これだけは思う。語りはたけしジャナイ。






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原作を先に読んでいたので、どうしても比較してしまうところはありますが…。
小栗旬が熱演でした。それだけでも価値が上がります。『二つの祖国』でも感じましたが、本当にいい俳優になったなあと思います。憂いある顔を傾けて「まーきの♪」と呼んでいた頃が懐かしい…あの時は松潤の方が百倍良く見えて、だんぜん道明寺派だったのですが、あの時の花沢類がこんな実力派俳優になるとは思いもしませんでした。漫画実写化でも軽い役よりはこういう重いものを背負った人間のほうが味わいが出ますね。
さて、残酷な連続殺人と後輩の死、妻子の誘拐からの監禁、逮捕劇など、おおまかな流れは原作どおりでした。大きく異なっていたのはラストです。ある意味いちばん重要なところかもしれませんが。
原作は漫画的表現(描かれている景色が現実なのか虚構なのかがあいまい)を利用して、「殺人鬼がよみがえる(かもしれない)」「沢村の家族は幻影(かもしれない)」という、背筋を凍らせるラストカットで幕を閉じました。しかし映画では同じ手法を使えないため、「殺人鬼は肉親によって殺された(っぽい)」「沢村は家族との時間を取り戻したが、息子は殺人鬼と同じく心因性の光線過敏症になる(っぽい)」と、原作に較べれば後味の悪さは小さなものになっています。ただ実写なら、このくらいがちょうどいいかもしれません。
そして残念だったのは、犯人が遥にカエルのお面をかぶらせ、沢村に撃たせようとする場面です。原作では、振り返ったカエルが視界に入った刹那、引鉄に手をかける沢村の脳裏に家族との記憶がフラッシュバックしました。沢村は妻の扮装を見誤ることはありませんでした。カエルの目論見が、家族愛に破られた瞬間でした。
しかし映画では最初から入れ替わりのネタばらしがされていたため、感動も半減でした。カエルに双子の姉妹がいたという設定を付け足し、唯一の肉親であるその彼女に最後は殺されるという流れは、この作品のテーマのひとつが「家族の愛」であることを象徴していると思うのですが、ならばこそ沢村がカエルは遥と見破る場面の演出は最重要だったと思います。その後の追い詰められるふたりの演技が迫真だっただけに、もったいないなあと感じました。
凶悪な殺人鬼を演じたのは、イイ人のイメージが強い妻夫木聡。スキンヘッドとおどろおどろしいメイクで見た目だけでは本人とわからないくらいで、セリフ回しも表情もかなりイっちゃってる感を強調していましたが、どこか物足りなさが残りました。つまぶっきーもどちらかと言えば小栗旬と同類で、陰のある役が似合っていると思います。あと、遥を演じた尾野真千子と小栗旬のツーショットが少しピンと来ませんでした。











3/29~31 vsF ●▲●

なにこの既視感ありありの開幕試合延長サヨナラ負けは。
この黒星が今年のオリックスを象徴していた…。
とは、思いたくない。
山岡は立派に開幕投手の責を果たしたと思うのですが、少々詰めが甘かったでしょうか。
二戦目は福田のタイムリーだけ見てチャンネルを替え、そろそろ勝ったかなと速報を見たらまさかの同点。
そして三戦目も勝てず、まさかの開幕カード勝ち星なし。打てませんね…わかっちゃいたけど。
吉田正がシフトで完全に抑え込まれました。あとを引かなければいいのだが…。
と、いやな予感はこういう時に限って当たるのだ。


4/2~4 vsH ●▲●

おいおい…いつになったら初日が出るんだ? 三役相手だとまったく勝てない平幕力士か?
初戦はアルバースが完全誤算とはいえ、二戦目は山本が9回1安打投球でまさか勝ち星つかずとは思いもしませんでした。金子が巨人相手に9回ノーノーで勝てなかったあの試合を思い起こしたオリファンはワタクシだけではあるまい。
とにかく、打てない。わかっちゃいたけど。
このまま今年は一勝もできない…なんてこと、あるわけないはず…と思いつつも、あるかもしれない…と思わせる、なんなのこの超ド貧打線は。


4/5~7 vsE ○○△

ようやく初日が出て、連勝もして、ついにサンタテ!
…なんてそうそううまくいかないとはわかってはいても、できたよね。
できてたよねーー!?
追加点を取れずに追いつかれる場面はこれまでも再三見てきたけれど、疲れてくる夏場からならまだしも、まだ開幕して3カード目で、セーブ機会を2回も失敗している増井はいかがなものか。ましてや3点差もあっての状況で。おまけに榊原の初勝利がかかっていたのですから。もちろん、捕手銀次という超スクランブル状態の相手を打てない打線もどうかと思いますが。
それにしても、吉田正はまだ復調のきざしが見えないですね。長らく不在だった1番打者がついに発見され、西浦もそこそこ機能しているのに、クリーンアップが働かないと、そりゃ得点できません。本人も苦悩している様子ですが、こういうトンネルを抜け出す手助けをできる人がいないというのがね…。ずっと吉田個人軍でしたからね…。







山小屋に迷い込んだ見知らぬ3人の男女、というイントロダクションは一時流行った設定のようですが、考えてみたらその手のサスペンスはほとんど観たことがないような…。
当初に感じていたささいな違和感は、謎があきらかになっていくにつれ解き明かされていきます。
サマンサの古風ないでたちとレトロな車。
3人が見る奇妙な夢。
トムとサマンサ、ジョディとサマンサ、トムとジョディの間のそれぞれの空気感。
3人は血縁者で、時代を超えて同じ場所に集まってきていました。
そしてそれぞれ、不幸な運命を背負っていました。
さらに現れたドイツ人兵士、ハンス。彼は第二次世界大戦で命を落としたサマンサの父親。
ハンスが生きてさえいれば、未来は変わっていました。サマンサが出産で命を落とすこともなく、ジョディが死刑囚になることもなく、トムが神父に虐待されることもなく。
3人はハンスを救うため、そして未来を変えるため、命をかけて戦います。
登場人物はほぼ4人、狭い空間、貧相な空爆シーンなど、低予算まるわかりなうえ、使い古されたタイムリープものにもかかわらず、じゅうぶん良作に仕上がっていました。タイトルは原題の『Inter Nowhere』の方が良かったような気もしますが。
3人の謎がだんだん明らかになっていく過程や伏線回収のタイミングなどテンポが良く、それぞれの行動にも矛盾を感じませんでした。アイディア一発勝負で、まだまだこのジャンルにも面白い作品は産まれるのだなあと感服します。
3人の奮闘のおかげで未来は変わりました。
死なずに帰国したハンスは、篤志家として天寿をまっとうします。ラストカットは、立派な邸宅から海に向かう貴婦人のサマンサとエエトコのお嬢様風のジョディでした。
幼いトムの姿はありませんでした。
鑑賞後、ヤスオーと「トムはどうなったのか?」という議論をしました。ヤスオーは「ジョディがやさぐれなければ強盗の相棒と知り合うこともないから、トムは生まれない」と言いますが、私はきっといずれトムもジョディの息子として生まれてくるのではないかなあと思います。なぜならサマンサの夫が必ずしもアダムとは限らないですし。片親のサマンサに冷たくするような両親を持つ男とは、ハンスが結婚させないような気もしますし。アダムではない夫との間にジョディが生まれてきたのだとしたら、トムも生まれてくるはずです。
セワシもこう言ってるし!
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将棋好きのツレのおかげで、棋士にはそこそこ詳しいです。
村山聖のことももちろん知っていました。
棋士は不思議な存在です。
ブームになった時の羽生も、今の藤井聡太も、まるで芸能人のようにワイドショーで特集されていますが、やはり何か違う気がします。棋士はアイドルのような憧れの存在でもなければアスリートのような目標にもなりえません。といって一般人のようにもてはやされて浮つくところもありません。
今でこそAIが発達して、人間の想像もつかないような一手をあみだすようになってきましたが、少し前まで将棋はコンピューターが唯一人間に勝てない競技と言われていました。そのくらい、将棋盤の上には無限の世界が広がっています。その誰も見たことのない先に足を踏み入れ、誰も思いもつかない一手を引き出す作業を、永遠にくり返す職業。みずから「負けました」と相手に頭を下げなければ勝負はつかず、そして勝ってガッツポーズする人もいない。つくづく、将棋は不思議な世界です。
そんな場所に棲む棋士は、我々凡人とは違う景色を見て、違う次元を生きているような気がします。
凡人には想像できなくても、同じ世界を生きる棋士同士なら共有できる思いがある。
誰も見たことのない世界に、もっとも近いふたりだからこそ。
村山と羽生。もし村山が病魔に侵されていなかったら、きっと歴史に残る名勝負がもっと数多くふたりの間で生まれていたに違いない。しかし病室で将棋を憶えた村山が、もし健康だったなら将棋には出会っていなかったのかもしれない。
そして稀有な才能を持ったふたりが同時代に生まれたこともまた、人生における不思議なめぐりあわせだったのかもしれない。
文字どおり命を削りながら将棋に対峙する村山。将棋会館に向かう道中で行き倒れながらも、将棋盤の前に座ればまるで病などなかったかのようにしゃんとして駒を打つ。その一手が命を縮めることになる、それを知りながらも将棋をやめない。誰しも死を前にすれば、どれだけ大切なものであっても手放すことをいとわない。しかし村山は無限の世界に挑み続ける。
なぜ、そうまでして村山は戦うのか。
その答えは、わかりません。
村山、そして羽生にしかきっとわからないでしょう。将棋の世界にいる者にしかわからない、そうさせる何かがあるのでしょう。
そんな不明瞭な世界を演じなければならなかった松山ケンイチと東出昌大。少しこちら側の空気感が残ってしまっていたのは無理もない話です。ただ、東出くんが随所に羽生の雰囲気を見せていたのには驚きました。黙して考えるところは悠太郎さんぽかったですが。
松山ケンイチはさすがのカメレオン俳優ぶりです。師匠のリリー・フランキーも本当にあんなベテラン棋士がいそうな存在感でした。荒崎は先崎なのでしょうが、『月下の棋士』の関崎といいどうしてあんないけ好かないキャラ付けをされるのだろう…。








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プロ野球&連ドラ視聴の日々さまざま。
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