『教場』
…あり、だったかも。 うむ。言わされてしまいました。やるな! キムタク! マクドナルドのCMで「ちょ、待てよ!」と言わされているザ・キムタクと同一人物とは思えませんでした。いや、これも「キムタクだから」「キムタクなのに」という先入観に基づく感想ですから、もうそんな色眼鏡ははずすべきなのかもしれませんが。 ドラマ自体は、生徒たちの群像劇という体でした。原作はさまざまなバックグラウンドを持った生徒たちの警察に対する適性を暴くミステリー形式でしたし、あくまで学生でなく社会人の集まりですから、同じ教場であっても心から打ち解け合わないどこか不穏な雰囲気でこそ生まれる摩擦が事件のきっかけとなっていたのですが、著名な俳優たちを起用するドラマであの微妙な距離感を描くのは難しいですかね。だからといって、卒業を涙涙の青春ドラマみたいにする必要はなかったような気がするのですが…。最後の都築の過去話も薄っぺらく改変されていて、セリフのやりとりも舞台調だったので入り切れず冷めてしまいました。原作1の最後を飾った都築のエピソードが余韻を残す秀逸な終わり方だっただけに、ちょっと残念でした。 新たな生徒が入校して続編を示唆するようにドラマは終わりましたが、原作1・2はほぼ使い切っているので、どうなるのでしょうね。生徒メインの原作1・2では風間の過去は明かされることはありませんでしたが、原作はまだ続いていて風間編も刊行されているようですから、今度は風間の過去がメインになるのでしょうか。 最近のドラマではめずらしく、教場の訓練風景が本格的で緊迫感がありました。隙の無さを醸し出す風間教官の所作はじめ、細部までこだわって製作されたことが伝わってきました。 『トップナイフ』 好みの俳優陣が起用されているので観てみたのですが、なんだか肩透かしをくらった感じです。 登場人物が皆ありふれたキャラ造形なのは良いとして、手術に至る過程がいまいちテンポ悪く、緊張感にも欠けています。脚本が医療ドラマには定評のある林宏司ですから、脳外科内の人間関係というよりはさまざまな症例や患者メインの物語だと思っていたのですが。これから盛り上がっていくと信じます。林氏は『エール』の降板もありましたし、少し気がかりではありますが。 椎名桔平は最近こんな人を食ったようなキャラばかりですね。そろそろ正統派に戻らないかなあ。 PR 『クライマーズ・ハイ』や『突入せよ!「あさま山荘」事件』の原田眞人監督とあって、群像劇を形成する人びとの魂と魂のぶつかり合いがこちらの心を熱くし揺さぶってくる作品です。 とはいえ見習い医者で戯作者志望の主人公を大泉洋が演じているだけあって、シリアスよりはコメディ寄り。早口の江戸言葉の応酬にはこちらの腰もウズウズしてきて、思わず駆け出したくなるようなパワーがありました。 時は天保、舞台は鎌倉・東慶寺。…ではなく、その門前にある御用宿。縁切りしたくて駆け込んでくる女たちの事情聴取を行い、まずは和解するよう説得する場所です。それでも埒が明かぬとなった場合、女は髪を切り入山、2年間の修行に耐え抜けば晴れて離縁達成、自由の身となるわけです。 水野忠邦政権により綱紀粛正が行われた江戸に居場所を失い、親戚を頼って御用宿にやってきた信次郎は、放蕩DV夫から逃げてきた鉄練りのじょご、そして質屋の妾・お吟の「駆け込み」に偶然にも居合わせます。 御用宿に集うのはさまざまな事情を抱えた女と男。信次郎は運命に抗う彼女たちを目の当たりにし、戯作者魂に火をつけられます。 江戸時代の女は弱者とされていました。縁切寺に駆け込むしか離縁の手段がなかったことを思えば、確かに現代より立場は弱かったのかもしれません。それでも女が集団になった時の、男どもを一網打尽にする威力は、今も昔も変わりません。尼寺の風景はまるで女子寮。衣替えでウキウキしたり、ひさびさの男を遠巻きにしてはわきゃわきゃしたり、もちろん嫉妬から来るイジメもあったり。 鉄練りの技術は一流ですが、顔の火傷で夫に醜女扱いされ、なかなか人に心を開けなかったじょご。信次郎たち御用宿の人びとと触れ合い、一緒に駆け込みしたお吟と心を通わせたり、寺で薙刀を振るったり薬草の知識を深めていったりしたことで、徐々に自信を取り戻していきます。寺を出る頃には、かつてのじょごはもうどこにもいませんでした。自分の行く先を自分の心で決め、自分の口で語り、信次郎の求愛をくちづけで返すような、ひとりの自立した女性へと成長していたのです。 登場時とまるで違う表情を見せた戸田恵梨香の笑顔が印象的でした。 それには、みずからの人生に見事な仕舞いをつけた「姉」お吟の存在抜きには語れないものだったかもしれません。 八犬伝の続きを心待ちにしていた婀娜っぽい質屋の妾の、浮世絵から抜け出てきたかのような姿態と、命の灯が尽きるまで心に秘め続けた偉大な愛。目線や声色から色気が匂い立つような存在感の大きさでした。 人と人とが絡み合って作り上げられていく世界、そして人生の岐路に立たされた時、揺れ動いた感情の行きつく先。誰もが抱える心の秘密。地に足つけた人間の侃さ。胸のすくような大団円。 まるで、昔の日本映画を観ているかのようでした。…観たことないけれど。 タイトルを手にした、あるいはいずれタイトルホルダーになるであろう棋士たちを目にする機会が多くなりました。 彼らは概して物静かで怜悧な、まるでエリート官僚のような青年たちですが、その目には宇宙の果てまでを見通すような深淵さがあります。彼らは日々戦っています。いまだかつて誰も見たことのない景色を、盤上の81マスの中に見つけようとしているのです。そのために、幼い頃から戦い続けてきたのです。 そして、テレビなどで見かけるタイトルホルダーの下には、彼らが倒してきたたくさんのプロ棋士がいて、さらにその下には、プロを目指して鍛練しているもっと多くの奨励会会員たちがいます。その中からプロになれるのは年にたったの4人。そして26歳までプロになれなければ強制的に退会させられてしまうという鉄の掟が存在します。たった1期で三段リーグを勝ち抜き、プロに昇格してから29連勝した藤井聡太七段でさえ5敗を喫しているという、魔の巣窟なのです。 そんな三段リーグを勝ち抜いたプロ棋士すべてが奇跡のような存在ですが、夢破れて市井に戻った元奨励会会員が、サラリーマンを経て再度プロ棋士への夢を追い、そしてそれを実現させたという別口の奇跡を描いたのが、この作品です。 瀬川晶司という名前は今でもよく憶えています。当時は大きなニュースとして取り上げられていました。しかしその時はまだ『将棋の子』も『月下の棋士』も読んでいなかったので、成し遂げたことの重大さをあまりわかっていませんでした。多少知識を蓄えた今なら理解できます。そして26歳ですべてを失ってしまう不安や失ってしまった虚しさも、よくわかります。 将棋好きだったしょったんは、父に連れていかれた将棋道場でますますその面白さに目覚め、自転車で友達と先を争うように毎日通っては腕を磨いていきます。中3の大会で敗れ高校受験する友達とは道別れ、しょったんはひとり奨励会に入会しプロを目指すことになりました。 家族も、しょったん自身も、いつかプロになれるだろう、なれるはずだと疑いませんでした。 そして、ページをめくるように季節は過ぎていきました。 病んでいく者。去っていく者。目の前を通りすぎていくさまざまな風景から目をそらすように、しょったんは仲間たちとゲームや賭け事に興じていました。しかし、将棋から逃げてはいませんでした。刻一刻と近づいてくるデッドラインも、ちゃんとわかっていました。 それでも、届かなかった。 どれだけ必死に、すべてを賭けて挑んでも、勝負は必ず勝者と敗者を分けてしまう。 そして26歳の敗者は、その瞬間にすべてを失いました。 プロ棋士を目指せるくらい将棋が強ければ、それだけの教養を兼ね備えているということであり、さらに20代半ばという年齢を考えても、社会で立派に生きていける可能性はおそらく凡人よりも高いはず。他者はそう見ます。早く将来に目を向けろと諭した兄は決して間違ってはおらず、またしょったんを思っての言葉には違いないのですが、将棋しか知らずに生きてきて、それだけに捧げてきた人生を辿った人間にしか、その道を鎖された喪失感の大きさはわかりません。 ただ、しょったんの父はわかっていました。愛深く、懐の大きな父でした。いつもしょったんの行く先を示してきてくれました。 その父をも失って、しょったんの道はまたわずかに変わっていきます。 導いてくれたのはかつての友でした。 しょったんにとって、将棋盤の前に座すことは、いつしか苦しみになっていました。 奨励会を去ってからはじめて将棋を指し、しょったんは思い出しました。将棋が楽しくて仕方なかったかつての時間を。ワクワクしたあの昂揚感を。 将棋を指す喜びを思い出したしょったんは、本来の強さを取り戻していきました。そして、その周囲にはいつしか多くの人が集まって、彼の行く先を示してくれました。しょったんの生来の優しさと人望の厚さが、彼の奇跡を呼び起こしたのです。それは父から受け継いだものでしょう。 しょったんが父から生まれてきたこと。 きっと奇跡のすべては、最初からはじまっていたのだと思います。 『トイ・ストーリー4』の口直し…というわけではありませんが、前にヤスオーが絶賛していたので今さらながら鑑賞してみました。 さすがピクサー作品といったところです。 まず脚本が素晴らしい。ひとりの子どもにふりまわされる大人なのか子どもなのかわからないお化けたちと、せちがらい企業の内部事情が巧みに絡んだ、子どもから大人まで楽しめる世界観。後半は逃亡劇ですが飽きさせないスピード感のある構成もさすがですし、不気味なはずなのに愛らしく見えるおばけたちや、画面の奥行き、アクションの迫力など、作りこまれたアニメーション技術には感嘆します。 エネルギー源を子どもの悲鳴から笑い声に変えるという心あたたまるオチも、ディズニーらしくて好きです。 別れの時、サリーに抱かれたブーが彼の毛並みを優しく撫でる動きなんかも、それだけで彼女の淋しさが伝わってきて一緒に泣きそうになりました。 ホンジャマカ・石塚と爆笑問題・田中がそれぞれサリーとマイクを演じていたことをあとから知ったのですが、まったく違和感なかったです。 |
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