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いかに寝て起くる朝に言ふことぞ昨日をこぞと今日をことしと(小大君)
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同じ制服を着て教室の中に閉じ込められていることに、息苦しさを感じていました。
日々の手触りを感じられなくて、自分の存在感もつかめなくて。
ここから出たら、大学に入れば、何かが変わると思っていました。ほんとうの自分が見つかると思っていました。
けれど何も変わらなかった。
私は変えてくれる何かを待っていただけでした。どこにも落ちてなどいない、ほんとうの自分とやらを下を向いて探していただけでした。
きっと彼らも、同じだったのだろうと思います。
なんとなく大学に行って、「君のことを教えて」と訊かれても何も答えられず、きっとこの先も流れのままに就職するだけ。それを味気ない、実感のない生の営みと感じていました。
たぶん、好き嫌いの分かれる作品なのかなと思います。
惜しみない愛を与え大学に通えるだけの経済力を持つ両親がいて、「ほんとうの自分とは何か」を考えていられるだけの余暇があり、犯罪には相応の罰を与えられるべきという社会的に真っ当な倫理観を持って育ち、若さのエネルギーを持て余して現実にもの足りなさを感じた経験の持ち主であれば、彼らに共感できるでしょう。一方それらを欠いた視点で観れば、彼らのあまりにも稚拙な犯行を、いわゆる中二病の一種のように捉えるかと思います。
ちょっとワル風味なウォーレンだって、世間から見ればただの優等生です。スーパーのカートを燃やして騒いでいるホンモノのヤンキーとはつるむことができません。彼らにカートを燃やす理由は存在しません。たぶん「面白いから」「退屈だったから」、そんな答えが返ってくるのだろうと思います。しかしウォーレンは廃棄品の窃盗のいいわけに食料問題を持ち出すように、みずからの行動に基準を必要とする人間です。画集の泥棒計画も、もしそれが個人の所有物であったらおそらく実行には移さなかったでしょう。持ち主が大学という実態のない組織であり、司書は管理人にすぎない存在だったから、彼は彼の倫理観に訴えたうえで自分を納得させたのだと思います。
ウォーレンに巻き込まれるようなかたちで犯罪にかかわったスペンサーも、チャズやエリックも、それを悪いことだと自覚しながら、「誰も傷つけない」ことに自分たちを納得させてその計画に乗りました。
しかし、犯罪には必ずそれにかかわる相手がいます。誰かが傷つくから、犯罪なのです。
ほんとうの自分を探して下を向いてばかりの彼らに、その「誰か」が見えるはずはありませんでした。
自分たちの暴力で傷ついた司書を前にして、ようやく彼らは自分たちが犯した罪の大きさを自覚します。それからの彼らは、まるで早く捕まることを待っているかのようでした。
逮捕され懲役刑を受けて安堵したと彼らは言います。
なんとなく『ぼくらの七日間戦争』を思い出しました。大人たちへ反旗をひるがえした少年少女を描いたこの作品は今でも増刷を重ね、子どもたちの心をとらえています。どの時代のどの読者も、作品の中に夢を見ます。主人公たちの行動は現実には不可能であることを理解したうえで楽しんでいるのです。誰もが心の中にレジスタンスへの衝動を抱えながら、社会との折り合いをつけて成長していくのです。
彼らが「学校」「校則」を敵と見なして行動したのに対し、ウォーレンたちに敵は存在しません。彼らは何ものにも縛られてなどいないからです。束縛から解放され、集団から個になることを求められた時、みずからの存在感の不安定さに、空に漂うような不安に襲われます。明確な敵を失い、その視線はみずからに向かわざるをえません。
他者とのかかわりなくしては生きていけない以上、個は他者の中にあるからこその個となり得るのであり、個を見つめるには他者に目を向ける必要があります。それを彼らは、そして私自身も気づきませんでした。
他者への視点を失ったからこそ、成せなかった完全犯罪。被害者となった司書の女性は、この映画を観てようやく加害者を許せる気持ちになったと語ります。想像を絶する恐怖を味わいながら、過去を客観的に見つめ、そして他者である加害者へも目を向けたのです。
いっぽうの加害者たちはどうなのか。
『アイ、トーニャ』と同じ作りで、映画内では過去と現在を往来し、現在の彼らが当時を語ります。異なるのは現在の彼らが役者ではなく、実際の犯人であることです。
被害者は許すことで区切りをつけられる。しかし加害者は刑期を終えてもなお深く刻まれる後悔に苛まれています。そして、かつて友人であった彼らの生涯は、その苦い記憶ゆえにおそらく一生交わることはないであろうと思われます。若さゆえの過ちというにはあまりにも大きな代償でした。
青春時代を語る時は、誰もが遠い目になります。
あの頃のエネルギーと余暇は、二度と戻ってこないことを知っているからです。
しかし青春の真っただ中にいる時は、そのことに気づかない。いちばん大事なことは、いつも失ってからわかるのです。
しかし彼らのように後悔だけの思い出には残したくないものです。『七日間戦争』はあくまで夢の話なのですから。











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ずっと観たいと思いながらなかなか機会にめぐりあわず、最近になって真犯人が現れたというニュースが流れて興味が再燃し、ようやく鑑賞できたこの作品。
グエムル-漢江の怪物-』のポン・ジュノ監督作品とあって、構成も演出効果も素晴らしくスピード感があって、最後まで惹き込まれました。
実際に韓国で起きた連続殺人事件がモチーフになっています。80年代の終わり、まだ科学捜査は一般的でなく、警察内部でも暴力による自白強要や証拠品の捏造が横行している時代のことでした。折しも国内では民主化運動が激化しており本部の人員は手薄、捜査は後手にまわらざるをえません。「いつもの手口」で解決させようとする地元警察のパク刑事たちに対し、ソウルから応援に来たソ刑事は「書類は嘘をつかない」という持論で犯人像を推理していきます。
性格も仕事ぶりもまったく違うふたりがぶつかるのは至極当然。しかし、無惨な遺体を前にふつふつと湧いてくる真相をつきとめたいという思いは同じ。パク刑事の野性的な観察眼、ソ刑事の冷静なひらめき、互いが互いの長所を認めるのに時間はかかりませんでした。
田舎者と都会者、大柄とイケメン、一見ステレオタイプではあるのですが、決して使い古された感はありません。緊迫感ある展開とともに、ふたりの刑事の個性が実に魅力的に描かれています。
そして犯人の目星がつき解決しかけたかに思えた終盤、真相が再び闇の中に鎖ざされた時、ふたりが見せるそれぞれの絶望。知っていたはずなのに胸が苦しくなりました。
公開当時はもちろん未解決だったこの事件。刑事の職を辞し営業マンとして成功していたパクは、道中たまたま最初の現場を通りかかります。そして、真犯人も同じようにその場を訪れていたことを知り、パクの目は一瞬で商売人から刑事のそれに戻ります。
激しい怒りと憎悪をよみがえらせたソン・ガンホの両目に射抜かれるラストカットには、「真犯人が観ているかもしれない」という監督の思いがあったといいます。エンターテイメントの中にも作り手の強い意志を潜り込ませるポン・ジュノらしい演出でした。
バディを演じたソン・ガンホとキム・サンギョンをはじめ、次々現れる容疑者にいたるまでキャラクターがはっきりしていて感情移入しやすかったです。本物の事件に肉づけされた部分も多くあるでしょうが、もちろん当時のことを知らないだけに純粋な娯楽作品として楽しむことができました。ソ刑事に噂話を教えた女子中学生が被害者となった場面は、彼に貼ってもらった絆創膏をそのまま遺体に残していたことも、それを見たソ刑事が怒りのあまりかつて批判していたパク刑事らのやり方そのままに容疑者を暴行し罪を認めさせようとしたことも、結局その容疑者の潔白が判明したことも相まって、切なかったです。
結局未解決に終わったからこそ物語がドラマチックであったのは事実ですが、真犯人が判明したからといって(しかも犯人は別件で服役中のうえこの事件は時効済み)、もちろんこの作品の価値が下がるわけではありません。ただ、未解決のうちに鑑賞しておけば、より心に響くものがあったかもしれないと少しもったいなく思います。






今年はどこに行こうかな。
高野山に行ったし、次は比叡山かな…。

と、計画を立ててはみたものの、やはり日帰りでは難しいと悟り、結局近場に落ち着きました。

近鉄電車で室生寺へ。
女人高野と言われています。
たぶん、はじめてだと思います。



太鼓橋を渡ると、



室生寺です。



三本杉。



拝観料を払って仁王門へ。



さらに鎧坂を登って金堂へ。



今が見ごろなのかな?



五重塔は98年の台風で被害を受けました。当時のニュースを憶えています。
再建されたものも立派な風格です。



さらに奥の院へ。

バスが到着して寺へ向かう人の列に、途中の売店のおばあちゃんが「720段だよ~膝が笑うよ~」と声をかけていたのですが。

ちょっと舐めてました。

登れども登れども、終わりが見えない…!!



まさかあのずっと先の上に見えるものが…?(:.;゚;Д;゚;.:)ハァハァ

途中で休むと足が動かなくなりそうだったので、一気に登っちゃいました。




すぐさまベンチに直行。汗ダクダクで足フラフラ…。

お参りして御朱印をいただいてもまだ回復しませんでしたが、とりあえず帰路に。
下りのほうが辛かったです。
こりゃ筋肉痛間違いないな…。







室生寺を出て、しばらく歩いていると…。



民家の庭先に、鹿が…!
飼い鹿…なわけないか。野良鹿?



10分ほど歩くと室生龍穴神社に着きました。

雨乞いの神様とあって、パラパラと雨が。



静かな境内です。



杉の木に囲まれて厳かな雰囲気です。



鳥居前には連理の杉もありました。

ここからさらに1.3キロ先から奥へ進むと、吉祥龍穴というパワースポットがあるそうですが、膝が笑っているのでやめました。

おなかもすいてきたし…。
バスまで時間あるし…。



釜飯には大きなキノコやタケノコがごろごろ。



では飽き足らず、ぜんざいまで。
大きな草餅のみならず、お餅までおまけしてもらいました。

回転焼きをおみやげに、帰宅。
帰りの電車では疲労で爆睡。

そして翌朝、起き上がろうとしたらふくらはぎに激痛が…。
やっぱり筋肉痛でした。
でもトシを取ると数日後にやってくるというし…翌日でよかった…のか…?






かつて骨抜きにされたヴィゴ・モーテンセンですが、この作品ではまったくイケてない大食漢の用心棒を演じています。
物語は、彼があるピアニストのツアーに同行することになるところから始まります。芸術家然とした神経質なドクと粗野で無教養なトニー、ただでさえ凸凹なふたりが、旅を通じてだんだん友情を深めていく過程が綴られます。
しかし、ピアニストが黒人で運転手が白人、しかも行き先がまだ差別意識の色濃く残っていた南部とあれば、新たな問題が次々に発生していきます。かつては黒人作業員の使ったコップを流し台からゴミ箱へ直行させていたトニーですが、ドクの人柄に触れ、また差別社会を客観視することにより、考えを変えていきます。
ドクもまた、その生き方をトニーによって変えられようとしていました。
マイノリティーとして生まれたことはどうにもできません。いくら素晴らしいピアノの才能があっても、その演奏がどれだけ賞賛を浴びても、彼が黒人である以上越えられない壁がある。それを知りながら、それでも彼の演奏を聴くためではなく、演奏を聴きに来たという事実のために来場した白人の前でピアノを弾きます。賞賛されればされるほど、傷ついていく彼のプライド。それでも弾かなければいけない、それが自分に与えられた使命だとドクは信じていました。演奏を聴かせるためではなく、演奏するためだけに演奏していたドクにとっても、演奏を聴いていない観客と同じくらい無意味な時間だったかもしれません。
しかし、トニーだけは彼の演奏を聴いていました。彼の演奏が本物であると感じ、素直な気持ちをドクに伝えました。
だからドクは彼の言葉に耳を傾け、彼を信じ、場末の黒人専用バーでスタンウェイでないオンボロのピアノを弾きました。ツアー会場では決して見せなかった笑顔で弾きました。
彼が越えなければいけない壁など、最初からなかったのです。
彼のピアノの腕は唯一無二のものであり、彼が弾きたいと思えばポピュラーでもショパンでも、人の心は動かされる。ピアノを弾くことに大義名分はいらない。黒人の未来のためなんて構えはいらない。彼のピアノも人生も、彼自身のためにある。
彼は自由。
会いたいと思えば、会いに行けばいい。友は笑顔で迎えてくれる。
それに気づいたドクの世界とそして音楽は、これからさらに広がっていくはずです。
この作品を、音楽家と運転手の友情物語として捉えれば、非常に優れたものであると評することができます。コメディタッチのバランスも良かったですし、愛妻への手紙が代筆とバレていたオチにも涙が滲みました。20キロ増量したヴィゴ・モーテンセンはもちろん、ドクを演じたマハーシャラ・アリの役作りも素晴らしかったです。
しかし、アメリカにおける差別問題は、日本人には理解しきれないほど根深いものがあります。
黒人差別の観点から見ればこの話は安っぽく、できすぎという批判はまぬがれないようです。『ゲット・アウト』がハッピーエンドでないことに象徴されるように、差別される側からすれば安易な着地点など許されないのでしょう。
その歴史に触れたことのない者が黒人差別について論ずることはできませんが、その点を省けば「良作だった」という感想しか出てこない、心あたたまる物語でした。







・トイストーリー4:★☆☆☆☆
 
バズは無能だし、新キャラは魅力がないし、女に媚びるためか復活キャラのボーのみ不自然に有能だし、何よりもおもちゃ達の持ち主の役に立ちたいという信念を、惚れた女と一緒にいたい気持ちで曲げるウッディが最悪ですね。ウッディの自立っぽく描いてますが、女目当てに仲間や持ち主を裏切ったようにしか見えません。まあ、仲間達もドライに別れてましたけどね。


・パーフェクトトラップ:★★★★☆
 
「ワナオトコ」の続編で、前作より登場人物が多いので仕掛けも大きくなりアクション要素が強めですが、これはこれで面白かったです。前作でやられっぱなしの主人公が今回は復讐するという話の流れもいいですね。僕はこういう映画は腐るほど観ていますが、このシリーズは2作とも良かったです。しかししょせん2番煎じなので、「ソウ」の衝撃には勝てないのは残念ですね。

・時計じかけのオレンジ:★★★☆☆

名作と言われているだけあっていい映画なのは間違いないです。ただ、1971年なら前半のスタイリッシュな暴力描写はかなり衝撃的だったでしょうが、今ならそこまで珍しくありません。後半の全体主義国家、管理国家への批判も、社会の底辺の人たちと仕事でさんざん関わってきた僕には、人間の本質的は性と暴力であると理解しているので、イマイチ刺さりませんでしたね。

・リトルダンサー:★★★☆☆


噂に違わぬ完成度の高い映画です。とにかく演出がいいので、1つ1つのシーンが印象に残ります。映像も美しく、それぞれの登場人物も丁寧に描いています。こんな映画に5点満点で★3とか付けているのは僕ぐらいでしょう。これは好みの問題としか言いようがないです。ストーリーが予定調和で先が読めることと、音楽を使った演出が洋楽嫌いの僕にハマらなかったですね。

・バーバラと心の巨人:★☆☆☆☆
 
現実に起きた何らかのショックによって現実と妄想がごっちゃになったよくある設定の主人公ですが、いくら何でもこいつはやりすぎですね。これは統合失調症で入院が必要なレベルです。母の病気ごときであんなに頭がおかしくなったらダメしょう。あと母が死んでから急に主人公がいい子になる展開はほんまにげんなりしました。好き嫌いではなく、純粋にしょぼい映画です。

・パージ アナーキー:★★★★☆

2番煎じの設定とはいえ前作よりかなり面白くなっていますね。復讐するおっさんに自然に感情移入してしまう話の流れなので、こういう映画には珍しくラストは感動しました。黒人のおかんがこのおっさんに助けてもらったくせに、車を貸すと嘘ついたのでずっとムカついてましたが、ラストでそこもすっきりしました。白人のカップルは不要だったかなという気がしますが。

・トゥルーグリット:★★★☆☆

西部劇をまったく好きじゃない僕がコーエン兄弟の作品ということで観たのですが、やっぱりこの映画は西部劇が好きじゃないと面白くないと思いますね。王道の西部劇をコーエン兄弟らしく外しにいっているにも関わらず古典西部劇へのリスペクトもしっかり感じられ、作品としての出来は悪くないと思いますが、心が揺さぶられたりとかはなかったですね。

・ハッピーデスデイ:★★★★☆
 
ホラー+タイムループ+青春コメディに加え、一応犯人捜しの要素も入っているので、なかなか面白かったですね。どの要素も中途半端なんですが、あまり観たことのないタイプの映画なので新鮮さがありました。ただ、女主人公が誕生日にトラウマを抱えているのはわかるんですが、それとループするというのが結びつかなかったのと、犯人の正体はさすがに強引すぎですね。

・プリズナーズ:★★★★☆

重厚感と緊張感を兼ね備えたいい映画ですね。アレックス=バリーなどの伏線は僕はまったく気づきませんでしたし、これまたいいアイテムを使ったラストも鮮やかです。知的障害者のアレックスをボコボコにしている親父をバカにしていましたが、実はこの親父がいつも誰よりも早く真相に近いのも面白いですね。マイナス点は、アルカリ剤に何の意味もなかった事ぐらいです。
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