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かすむ夜の光を花とにほふにぞ月のかつらの春もしらるる(二条為明)
5/21・22 vsM ●○

どちらの試合も抑えが誤算。まあこういうこともあるでしょう。
2試合目は完全な負けペースの試合をよくひっくり返したと思います。3xなんて今までに見たことあっただろうか…。されたことはあったけど…。
中川が値千金の四球を選んだことで後藤のタイムリーにつながりました。今年の後藤を見ていたら打ってくれるとは思ってもいませんでした…いつもこの打撃をしてくれたら。


5/24~26 vsE ●○●

土曜に勝って「いけるかな?」と思わせておいて、やっぱり負ける日曜日。Kは審判の不安定なストライクゾーンに翻弄された部分もあったかもしれませんが、こうも打線が弱いとそりゃ一点も取られたくないと力んでしまいますよね。山岡も同じく。
ただ、おおかた負けるだろうと見込んでいた成瀬-岸のマッチアップでまさか勝ち星をつかもうとは思いもよりませんでした。左に弱い楽天打線とはいえ、成瀬が意地を見せてくれました。来週もこの調子で頼みますよ…。
こうやって週にひとつずつ着実に借金を積み重ねて、混パからひとり置いていかれている状況。もちろん大型連敗がないことでかろうじて右手一本…いや指三本くらいでしがみつき振り落とされずにいるという見方もできますが。
まあ、圧倒的最下位、黒星街道まっしぐらという春先の予想からすれば、よくやっているほうではないでしょうか。すべて若手先発四本柱のおかげです。
しかし今年も榊原やKの新人王は拝めそうにないな…。








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イギリスの映画雑誌で「落ち込む映画」ランキング堂々1位に輝いたこの作品。確かに、鑑賞後暗い気分になりました。
愚かにも薬物依存していく4人の過程が季節を追って描かれます。もちろんラストは破滅であり、魂の救済はありません。
もちろん、ただ快楽だけを求め薬物に手を出す若者たちに、救済の余地はないと思います。
しかし夫を亡くし孤独な自分の唯一の楽しみであるテレビを売るような放蕩息子をそれでも愛し、彼との美しい思い出である赤いドレスを着たいがためにダイエットを決意し、痩せる薬と信じて覚せい剤と知らずに服用してしまい依存症に陥ったサラにまで、あのようなバッドエンドしか用意されていないことには、背筋が寒くなりました。
危険を冒し大金を払いあるいは自らを犠牲に薬を手に入れ溺れるハリーやタイロン、マリオンと異なり、サラはいたって普通の淋しい独居老人です。
そんな平凡な一般市民にも、薬物の危険はすぐ隣にありました。そして人間は、易きに流れてしまうもの。狭い世界に生き思考力が衰えた老人ならばなおさらです。
薬物に溺れる心理はわからないし、わかりたくもありません。
ハリーやタイロンのように、最初はささいな好奇心からだったのかもしれません。マリオンのようにお金が欲しかった、サラのように労せず痩せたかった、理由はそれぞれでしょうが、いずれにしてもその一瞬の快楽は、やがて永遠の苦しみを齎します。人生の破滅を迎え、胎児のように丸まって眠りにつく4人。しかし時は戻りません。目が覚めてもそこは母の腕の中ではなく、苦しみの朝。
夢を現実にするために薬物に手を出した、それが分岐点となり、彼らの夢は永遠に夢のまま、死んだのです。
この作品のインパクトは、薬物の危険を世間に訴えるならば「ダメ。ゼッタイ。」よりよほど効果がありそうですが、もちろんそのメッセージのために作られた啓発映画ではないでしょう。
ストーリー自体は坂道を転がり落ちていくだけですが、純粋な芸術作品として、この作品の斬新な映像の連続には作り手の強い個性を感じました。薬物を摂取する際のカット割り、現実と妄想の境目が失われる瞬間、目と口のアップで示される快楽への執着心、表現方法が独特ながら各シーンのインパクトの強烈さは特筆すべきものがあります。
二度と観たくない作品ですが、切り取られた映像の数々は今でも瞼に焼きついています。これもドラッグのように、ある種の中毒性があったのかもしれません。











Facebookの良さは、いまだにわかりません。
TwitterやInstagramも、かつてのmixiも、たぶん昔やっていた文通や交換日記よりオープンでお手軽なコミュニケーションツールなのでしょうけれど、それと同時に文通や交換日記にはない危険も孕んでいて、浅はかで短絡的な自分には向いていないと感じ、誘われても流していました。
Facebookを勧められた時も、ビジネスをやっているわけではないし本名登録なんて絶対に嫌だと即座に断りました。私の中で、ネット上は仮想空間であり、自分以外の何者かになるための場所というイメージでした。自分の名を冠しない解放感を味わうことがSNSのメリット、そして無責任ゆえに歯止めが効きにくいのがデメリットだと思っていました。
その価値観を180度ひっくり返したのがFacebookでした。
もはや若者たちにとって、ネットは仮想空間ではありません。大学や寮の肩書、物理的距離を消滅させてくれる場所であり、人脈と視野を広げるためのリアルなコミュニケーションツールのひとつとなっています。
この映画の中で、その世界はひとりの天才の指から生み出されます。
きっかけは、彼女にフラれたことでした。
フラれたことに納得いかない彼は、彼女の悪口をブログに書きつらね、おまけに大学のサーバーにハッキングし女学生の写真をネットにアップして容姿のランク付けをします。
そんな小さないたずらが、やがて世界最大規模のSNS・Facebookの誕生へとつながるのでした。
ただ、この作品で描かれているのは、「Facebookはいかにして生まれたか」ではなく、「最後まで孤独な主人公」です。
Facebookで巨万の富を築いた彼が結局得たものとは、何だったのでしょう。
ともにFacebookを立ち上げた親友は去り、彼女も戻ってはきませんでした。
誰とでも繋がれるコミュニケーションツールのFacebookを作り上げた彼が、本当に繋がりたい人とは繋がれない。そんなラストシーンで、物語は幕を閉じます。
マーク・ザッカーバーグの周囲から浮き立つ「天才」ぶり。脚本を詰め込むためという早口の台詞回しが、それをより強調していました。しかしこの映画の良いところは、天才を際立たせるために配置されがちな「普通」の脇役たちも、それぞれフラットに描かれているところです。
彼を振ったエリカも、親友を訴えたエドゥワルドも、スクールカーストの下層階級に一杯食わされたことに怒るボート部員も、それぞれがマークとコミュニケーションを持とうとし、そして失敗しました。マークは彼らの気持ちを理解しようとはしませんでした。理解してほしいと望みながら、理解されようとはしませんでした。
結局は、対話であろうが、「いいね!」であろうが、コミュニケーションが人と人との繋がりである以上、相互理解への努力が必要なのです。
マークがそのことに気づき、相手へ心を向ける時は訪れるのでしょうか。
私にとってFacebookは無縁の存在であり、それを作り上げた過程も現実のマーク・ザッカーバーグにもさして興味はありません。よって実際より大きく脚色されているというこの物語も、最初から「ひとりの天才の物語」というフィクションとして楽しめました。天才のお話はもう何作も観ていますが、結局天才とはどんな国のどんな時代の人間でも、結局孤独になってしまうものなのだなと切なくなってしまいます。








5/15・16 vsM ○●

勝ったはいいもののあまりいい勝ち方ではないな…まあ山本だから連勝は大丈夫かと楽観していたら、こんな時ばかり裏切られるんだからーもうー。
しかし酷い、酷すぎる。小島の落球は論外だし、福田大城の連携もたいがいですが、Tのトンネルに腹が立ってしょうがない。打席でもそれまでにヘイトを溜めすぎるくらい溜めていたとはいえ、ここぞで頼りがいを見せるべきベテランが若い投手にトドメを刺したとなっては…そりゃ二軍に落とされても無理ありません。打つ方は吉田正に、ベテランの役割は安達に、チームのまとめ役はキャプテンの福田や選手会長の若月に任せきりなのがよくわかりました。


5/17~19 vsL ●○●

よくサンタテされなかったな…というカード。どうしていつも週末は気分が晴れないのだろうと思っていたら、どうやら日曜に一度も勝っていないそうです。
金曜は追いつくまではよかったのですが…。西村監督が円陣で活を入れたそうですが、ヘッドコーチ時代もいつだったか円陣で檄を飛ばしてその回に点が入ったような。普段穏やかな人が怒ると効果てきめんのようです。できるなら最初からやれよという気もしますが。
監督直々のアドバイスも実を結ばなかった後藤には落胆よりも悲しみが先に来ます。
まあ、とにかくK-鈴木に勝ち星がついてよかったよかった。
しかしたまには馬鹿試合も見てみたいのだが…。





祖母の家には『雪の女王』の絵本がありました。
しかし序盤の男の子が女王に連れ去られる場面で怖くなり、読むのをやめてしまいました。
その記憶のせいで、私の中の『雪の女王』は「怖いお話」のイメージです。
そんな物語がディズニーの手にかかればアラ不思議、こんなハッピーエンドのラブストーリーに!
もっとも、あのおどろおどろしい『ラプンツェル』ですらキュートなプリンセスの活躍譚にできるのですから、たやすいことなのかもしれませんが。
とはいえこのお話、アンデルセンの『雪の女王』とはまるであらすじが異なります。カイもゲルダも出てきません。エルサを救い出そうとするアナがゲルダの役割なのかもしれませんが、雪の女王であるエルサは悪役ではありませんし、カイにあたる人物も出てきません。むしろエルサは幼い頃から自分の魔力をもてあまし、罪悪感に苛まれながら大好きな妹すらも遠ざけて孤独に生きてきました。ようやく自分の心を開放できたのが、自分の国から、妹から逃げ出し、みずから作り上げた氷の城でした。
あの超有名な『Let it go』は、てっきりラストで、エルサが自分の魔法を隠すことなくアナたちとともに生きることを決めた時の歌だとばかり思いこんでいました。まさかあんな序盤、しかもあんな悲しい展開で歌ったものだったとは…。
歌い終わりとともに氷の城の扉を閉めるエルサの行動はむしろ「ありのまま」の開放感とは正反対に閉鎖的ですし、それを救い出そうとするアナはむしろありのままであろうとするエルサを否定しているような…。
まあ、あまり深く考えないほうがいいのかな。
主人公たちにしあわせが訪れて、悪役にそれなりの罰が下って王子様とは両想い。オラフやスヴェンのかわいらしさ、氷のCG表現、すべてが最高のディズニークオリティでしたし、細かいことはおいておいて、観た後にハッピー気分になれるのがディズニー映画の醍醐味ですから。
ハンス王子が主人公の王子様でなかったことは意外な展開でした。クリストフが登場した時点で、「え、まさかハンスは!?」と察しがついたものの、そこからの落差は激しかったです。ラストの愛の正体は、オラフの「王子様とのキス」のミスリードが効いていました。
エルサの王子様が現れなかったので、鑑賞後は「エルサは『エリザベス』のように生涯独身の女王になるのだろうか。それはちょっとかわいそうだし、続編で誰か登場させてくれないかな」という思いを抱いたのですが、いろいろな考察サイトを見ていると、LGBTも含めて多様な価値観を認める現代社会の象徴として描かれている可能性もあることが指摘されていました。ナルホド、お城で王子様を待っていたはずのプリンセスがみずから行動を起こして王子様とともに冒険するようになっていったように、今度は王子様を持たないプリンセスも現れる時代になった、ということなのでしょうか。
いやはや、白馬に乗った王子様に憧れる昭和の少女漫画頭はもう古いということですね。








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