『風、薫る』
展開の早さが話題になりましたが、今までもスピード結婚&出産の朝ドラはありましたし、そこはさほど気になりませんでした。
ひっかかるのは、緩急の無さ。原因が演出なのか脚本なのかはわかりませんが、盛り上がるべきところも流れが一定で、イマイチ心象に残りません。朝ドラは「ながら観」する視聴者のため、説明セリフ中心だったり場面転換が少なかったりなど、単調でわかりやすい作りになりがちですが、それでも「間」の取り方が優れている作品は多くありました。この朝ドラにはあまりそれを感じません。
生まれも育ちも異なるダブルヒロインという手法は新鮮と思います。ただそのキャラが伝わってこないのが非常に残念。これも脚本や演出のせいなのか、演技力のせいなのかはわかりませんが。
朝の仕度中の「ながら観」勢なので視聴は続けますが、ワクワクがないのが淋しいです。
『田鎖ブラザーズ』
『ウロボロス』や『竜の道』のような復讐心を秘めたふたりの主人公のお話。時効を迎えた両親の殺害事件の犯人を追うため、警察官となった兄弟が犯人を追う…というテーマは非常に興味を惹かれます。犯人と思しき男は行方不明。兄弟に手を貸す情報屋の女性や、幼い頃からふたりを知る中華屋の店主など、脇を固める布陣も魅力的。
導入部では、本題に絡めつつ、交通事故に見せかけた殺人事件の真相究明が描かれました。事件自体は2話完結でうまく構成されていたものの、結局なぜ水泳部の顧問が大樹を辞めさせたのか真意は不明、大河内と彼女の関係性の描かれ方も希薄で、消化不良感は残りました。もちろん本筋には関係ありませんから些末なことですが。大切な存在を喪った野上父と次男の悲痛さは強く伝わりました。
とりあえず、飯尾は犯人ではなさそうです。父親の勤務先の工場長夫婦は今後関わってきそうですし、兄弟の過去を知っていそうな岸谷五朗も曰くありげです。『ウロボロス』のようなカタルシスのあるラストを望みます。
展開の早さが話題になりましたが、今までもスピード結婚&出産の朝ドラはありましたし、そこはさほど気になりませんでした。
ひっかかるのは、緩急の無さ。原因が演出なのか脚本なのかはわかりませんが、盛り上がるべきところも流れが一定で、イマイチ心象に残りません。朝ドラは「ながら観」する視聴者のため、説明セリフ中心だったり場面転換が少なかったりなど、単調でわかりやすい作りになりがちですが、それでも「間」の取り方が優れている作品は多くありました。この朝ドラにはあまりそれを感じません。
生まれも育ちも異なるダブルヒロインという手法は新鮮と思います。ただそのキャラが伝わってこないのが非常に残念。これも脚本や演出のせいなのか、演技力のせいなのかはわかりませんが。
朝の仕度中の「ながら観」勢なので視聴は続けますが、ワクワクがないのが淋しいです。
『田鎖ブラザーズ』
『ウロボロス』や『竜の道』のような復讐心を秘めたふたりの主人公のお話。時効を迎えた両親の殺害事件の犯人を追うため、警察官となった兄弟が犯人を追う…というテーマは非常に興味を惹かれます。犯人と思しき男は行方不明。兄弟に手を貸す情報屋の女性や、幼い頃からふたりを知る中華屋の店主など、脇を固める布陣も魅力的。
導入部では、本題に絡めつつ、交通事故に見せかけた殺人事件の真相究明が描かれました。事件自体は2話完結でうまく構成されていたものの、結局なぜ水泳部の顧問が大樹を辞めさせたのか真意は不明、大河内と彼女の関係性の描かれ方も希薄で、消化不良感は残りました。もちろん本筋には関係ありませんから些末なことですが。大切な存在を喪った野上父と次男の悲痛さは強く伝わりました。
とりあえず、飯尾は犯人ではなさそうです。父親の勤務先の工場長夫婦は今後関わってきそうですし、兄弟の過去を知っていそうな岸谷五朗も曰くありげです。『ウロボロス』のようなカタルシスのあるラストを望みます。
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『ばけばけ』
舞台が松江から熊本、そして東京へ移ってからのラストまでは、ずいぶん駆け足でした。
貧しい主人公が成功して生活が豊かになると物語は停滞しがちですが、この序盤は貧乏でもあかるさを失わずイキイキと笑顔で働くトキが魅力的であっただけに、きれいな着物を着て文字どおり家の奥で手持ちぶさたな若奥さんになってからは、違和感が拭えませんでした。
それは、トキのヘブンへの愛よりも、ヘブンからトキへの愛の描写の方がずっと多かったからかもしれません。家族に憧憬を抱き続けていたヘブンがトキたちと出会い、家族となり、子の父となり、心理的にも物理的にもトキを庇護し満たし続けたヘブンの思いはずっと伝わっていました。
しかし、ヘブンの「カクヒト」としての苦悩を解消したのは司之介で、トキが後押しした『怪談』は「自分も読める本」というトキの希望と合致したからでもありました。トキはリテラリーアシスタントとして奔走するものの、その描写はわずかで、司之介との場面の方がより印象的であったように感じました。
しかしその「違和感」が最後の最後、それもヘブンが亡くなってからトキに突きつけられるとは思いもしませんでした。
ふたりで作り上げた『怪談』がアメリカで芳しくない評価を受けていたことを知ったトキ。残り話数もわずかなところで、自分が「カクヒト」ヘブンの晩節を汚したのだと絶望します。あと1話。しかもヘブンはもうこの世にいない。いったいどんなラストが用意されているのかと、最終話を待ち構えました。
トキが語り出したヘブンの思い出は、はじめは後悔に満ちていました。しかしフロックコートをめぐるやりとりから、色合いは変わります。フロックコートを「フロッグ」と聞き間違えたトキ、そしてそれを訂正せずに、トキが「フロッグ」と口にするたび微笑むヘブン。『ばけばけ』は、そんな他愛ない日常のくり返しであったことを思い出しました。家族の、なんでもない会話、笑顔、そして溢れる愛情。この作品は、レフカダ・ヘブンがいかにしてのちのベストセラー『怪談』を書きあげたのかという伝記ではなく、トキとヘブン家族の他愛ない日常の積み重ねを描いた『思ひ出の記』を映像化したものだったのです。
そして第一話冒頭、ろうそくを挟んで向かい合うトキとヘブン。ラストは、そこへ戻ります。死後の世界でもふたりは一緒。真っ暗な夜、スキップしながら散歩に出ます。『ばけばけ』の異なるフォントの上下している濁点は、まるで生まれた国の違うふたりがスキップしているみたい。最後にようやく気づきました。
とても半年間かけてきたとは思えない、構成してきたすべてが積み重なる怒濤の最終週でした。とても見ごたえある朝ドラだったと思います。
『リブート』
鈴木亮平と戸田恵梨香の演技力あってこその作品でした。松山ケンイチからの鈴木亮平は「そんなバカな」であるものの、ちゃんと「陸」がそこにいて、儀堂との違いを感じられました。
日9ですから、ちっちゃいことは気にせずそれなりに楽しく観ていたのですが、夏海が一香にリブートしていたことに陸が終盤まで気づかなかったのは、どうも納得いかない…。一香=夏海説は当初から目にしていたものの、「いくら姿かたちが変わっていても、最愛の妻がこんな傍にいてわからないなんてことあるか?」と信じていませんでした。それなのに…。綾香は気づいていたのに…良子も気づいたのに…陸…なぜ…。
ちなみにいちばん面白かったのは、永瀬廉から北村匠海にリブートした冬橋に対し、夫が「なんでリブートした後の方が演技上手いねん」とつぶやいた瞬間です。『おかえりモネ』のりょーちんは雰囲気があったけれど、やっぱり顔が綺麗すぎて汚れ仕事を一手に引き受けるアウトローには見えませんでしたね…。
舞台が松江から熊本、そして東京へ移ってからのラストまでは、ずいぶん駆け足でした。
貧しい主人公が成功して生活が豊かになると物語は停滞しがちですが、この序盤は貧乏でもあかるさを失わずイキイキと笑顔で働くトキが魅力的であっただけに、きれいな着物を着て文字どおり家の奥で手持ちぶさたな若奥さんになってからは、違和感が拭えませんでした。
それは、トキのヘブンへの愛よりも、ヘブンからトキへの愛の描写の方がずっと多かったからかもしれません。家族に憧憬を抱き続けていたヘブンがトキたちと出会い、家族となり、子の父となり、心理的にも物理的にもトキを庇護し満たし続けたヘブンの思いはずっと伝わっていました。
しかし、ヘブンの「カクヒト」としての苦悩を解消したのは司之介で、トキが後押しした『怪談』は「自分も読める本」というトキの希望と合致したからでもありました。トキはリテラリーアシスタントとして奔走するものの、その描写はわずかで、司之介との場面の方がより印象的であったように感じました。
しかしその「違和感」が最後の最後、それもヘブンが亡くなってからトキに突きつけられるとは思いもしませんでした。
ふたりで作り上げた『怪談』がアメリカで芳しくない評価を受けていたことを知ったトキ。残り話数もわずかなところで、自分が「カクヒト」ヘブンの晩節を汚したのだと絶望します。あと1話。しかもヘブンはもうこの世にいない。いったいどんなラストが用意されているのかと、最終話を待ち構えました。
トキが語り出したヘブンの思い出は、はじめは後悔に満ちていました。しかしフロックコートをめぐるやりとりから、色合いは変わります。フロックコートを「フロッグ」と聞き間違えたトキ、そしてそれを訂正せずに、トキが「フロッグ」と口にするたび微笑むヘブン。『ばけばけ』は、そんな他愛ない日常のくり返しであったことを思い出しました。家族の、なんでもない会話、笑顔、そして溢れる愛情。この作品は、レフカダ・ヘブンがいかにしてのちのベストセラー『怪談』を書きあげたのかという伝記ではなく、トキとヘブン家族の他愛ない日常の積み重ねを描いた『思ひ出の記』を映像化したものだったのです。
そして第一話冒頭、ろうそくを挟んで向かい合うトキとヘブン。ラストは、そこへ戻ります。死後の世界でもふたりは一緒。真っ暗な夜、スキップしながら散歩に出ます。『ばけばけ』の異なるフォントの上下している濁点は、まるで生まれた国の違うふたりがスキップしているみたい。最後にようやく気づきました。
とても半年間かけてきたとは思えない、構成してきたすべてが積み重なる怒濤の最終週でした。とても見ごたえある朝ドラだったと思います。
『リブート』
鈴木亮平と戸田恵梨香の演技力あってこその作品でした。松山ケンイチからの鈴木亮平は「そんなバカな」であるものの、ちゃんと「陸」がそこにいて、儀堂との違いを感じられました。
日9ですから、ちっちゃいことは気にせずそれなりに楽しく観ていたのですが、夏海が一香にリブートしていたことに陸が終盤まで気づかなかったのは、どうも納得いかない…。一香=夏海説は当初から目にしていたものの、「いくら姿かたちが変わっていても、最愛の妻がこんな傍にいてわからないなんてことあるか?」と信じていませんでした。それなのに…。綾香は気づいていたのに…良子も気づいたのに…陸…なぜ…。
ちなみにいちばん面白かったのは、永瀬廉から北村匠海にリブートした冬橋に対し、夫が「なんでリブートした後の方が演技上手いねん」とつぶやいた瞬間です。『おかえりモネ』のりょーちんは雰囲気があったけれど、やっぱり顔が綺麗すぎて汚れ仕事を一手に引き受けるアウトローには見えませんでしたね…。
『豊臣兄弟!』
描きつくされてきた戦国時代&豊臣秀吉ですが、今回の主人公は弟の秀長。しかし実質秀吉とのダブル主人公の物語となるでしょう。
初回は次から次へと主要人物が登場し、各キャラクターの背景や性格などがわかりやすく伝わってきました。話のテンポも良く、楽しめそうな気がします。
とにかく怖い信長とサイコパス風味をのぞかせる秀吉はステレオタイプではありますが、小栗旬と池松壮亮ですから、これまでとはひと味違うスタイルを見せてくれそうです。そして兄に振り回される弟といえば、これほど適役はいない仲野太賀(個人的感想→『拾われた男』『季節のない街』)。時に反発しつつ、時に協力しつつ、これまでは『秀吉』の高嶋政伸しか思い浮かばなかった豊臣秀長の新しいイメージを作ってくれそうです。
しかし仲野太賀の大河といえば、秀頼(『江~姫たちの戦国~』)なのですよねえ…。あのつまらないドラマにおいて終盤に登場した秀頼のインパクトは強かった。まだ幼さの残る風貌ながら凛として高潔で、秀頼のイメージが覆りました。15年の時を経て今度はその叔父を演じるとは、感慨深いものがありますね。
また、母親のなかを演じる坂井真紀とは、『季節のない街』でも親子役でした。あの母親は仲野太賀演じるタツヤの兄を溺愛して、邪険にされているタツヤに胸を痛めたものです。今作でも放蕩息子の藤吉郎を可愛がってはいるものの、小一郎にもきちんと気をまわしているようでひと安心。そういえば主演は池松壮亮でした。
ヒロインの交代騒動がありましたが、今のところ違和感はありません。しかし直には「悲劇のヒロイン」という冠言葉がついているので、つらい展開になりそうです。それにしても、白石聖と浜田美波、画面に映ると一瞬区別がつかないのだけれど…一瞬だけ…(髪型で見分ける)。歳を取ったせい…?
『イカゲーム3』
中盤でギフンが憎しみにかられ人を殺してしまったため、彼の生存エンドはないのでは…と不安に思っていましたが、予想どおりの結末になってしまいました。
1ほどプレイヤーそれぞれに魅力は感じなかったものの、ヒョンジュが亡くなった時は悲しくなったし、クムジャ・ヨンシク親子の結末も悲惨でした。ジュニのゲーム中の出産はやや強引かな…。後産は? 赤子がミルクを飲んだのは一度だけ? 夜泣きもせず? と、いろいろ気になってしまいました。まあ、野暮というものか…。
ゲーム後のフロントマンの表情が一変していたのは切なかったです。アメリカでメンコの女を見かけた時も、その目に滲んでいたのは絶望感でした。島の施設が崩壊し、韓国でイカゲームは実施されなくなったのかもしれませんが、人間を人間として扱わない、あのいかれた空間は世界のどこかで存在し続けるようです。一方、ギフンやジュニの遺志は子へ伝わり、ノウルが命をかけて救ったギョンソクと娘の命も繋がれ、ノウル自身も我が子と会うため中国に向かうという光明もありました。絶望と希望がないまぜになったラストは、印象深い余韻が残りました。
容赦のない残酷さとスピード感、俳優を知らないからこそ生まれる没入感が素晴らしかったです。
描きつくされてきた戦国時代&豊臣秀吉ですが、今回の主人公は弟の秀長。しかし実質秀吉とのダブル主人公の物語となるでしょう。
初回は次から次へと主要人物が登場し、各キャラクターの背景や性格などがわかりやすく伝わってきました。話のテンポも良く、楽しめそうな気がします。
とにかく怖い信長とサイコパス風味をのぞかせる秀吉はステレオタイプではありますが、小栗旬と池松壮亮ですから、これまでとはひと味違うスタイルを見せてくれそうです。そして兄に振り回される弟といえば、これほど適役はいない仲野太賀(個人的感想→『拾われた男』『季節のない街』)。時に反発しつつ、時に協力しつつ、これまでは『秀吉』の高嶋政伸しか思い浮かばなかった豊臣秀長の新しいイメージを作ってくれそうです。
しかし仲野太賀の大河といえば、秀頼(『江~姫たちの戦国~』)なのですよねえ…。あのつまらないドラマにおいて終盤に登場した秀頼のインパクトは強かった。まだ幼さの残る風貌ながら凛として高潔で、秀頼のイメージが覆りました。15年の時を経て今度はその叔父を演じるとは、感慨深いものがありますね。
また、母親のなかを演じる坂井真紀とは、『季節のない街』でも親子役でした。あの母親は仲野太賀演じるタツヤの兄を溺愛して、邪険にされているタツヤに胸を痛めたものです。今作でも放蕩息子の藤吉郎を可愛がってはいるものの、小一郎にもきちんと気をまわしているようでひと安心。そういえば主演は池松壮亮でした。
ヒロインの交代騒動がありましたが、今のところ違和感はありません。しかし直には「悲劇のヒロイン」という冠言葉がついているので、つらい展開になりそうです。それにしても、白石聖と浜田美波、画面に映ると一瞬区別がつかないのだけれど…一瞬だけ…(髪型で見分ける)。歳を取ったせい…?
『イカゲーム3』
中盤でギフンが憎しみにかられ人を殺してしまったため、彼の生存エンドはないのでは…と不安に思っていましたが、予想どおりの結末になってしまいました。
1ほどプレイヤーそれぞれに魅力は感じなかったものの、ヒョンジュが亡くなった時は悲しくなったし、クムジャ・ヨンシク親子の結末も悲惨でした。ジュニのゲーム中の出産はやや強引かな…。後産は? 赤子がミルクを飲んだのは一度だけ? 夜泣きもせず? と、いろいろ気になってしまいました。まあ、野暮というものか…。
ゲーム後のフロントマンの表情が一変していたのは切なかったです。アメリカでメンコの女を見かけた時も、その目に滲んでいたのは絶望感でした。島の施設が崩壊し、韓国でイカゲームは実施されなくなったのかもしれませんが、人間を人間として扱わない、あのいかれた空間は世界のどこかで存在し続けるようです。一方、ギフンやジュニの遺志は子へ伝わり、ノウルが命をかけて救ったギョンソクと娘の命も繋がれ、ノウル自身も我が子と会うため中国に向かうという光明もありました。絶望と希望がないまぜになったラストは、印象深い余韻が残りました。
容赦のない残酷さとスピード感、俳優を知らないからこそ生まれる没入感が素晴らしかったです。
『良いこと悪いこと』
7人目がいた…という推測は当たってはいましたが(すでにオープニングで登場していたという指摘もされていたらしいが)戸塚純貴ではありませんでした。
最初から話がしっかり組み立てられていたのか、連続殺人の動機や真犯人もそこまで不自然ではなく、最後まで楽しめました。
「どの子」がふたりいたという事実は唐突ではあったものの、「加害者が被害者のことをすっかり忘れている」というのは現実でもよくあることです。このドラマの視点は常にいじめ問題に置かれていて、ぶれることはありませんでした。
終盤では、高木の娘の花音がいじめの標的にされます。そして暗闇に閉じ込められた花音に光が差し込むところで、物語は幕を閉じます。
しかし、決してハッピーエンドではありません。高木がやってきたことは一生贖えないし、園子のトラウマも消えることはない。そしておそらく同じような傷を、花音も一生抱えることになる。最後に花音を照らした光はおそらくかつて彼女が手を差し伸べた相手であり、花音が選んだ「良いこと」が返ってきたとも言えるけれど、高木が過去に犯した「悪いこと」も花音へのいじめと帰結したわけで、結局良いことも悪いことも、この世界で循環し続けるのです。花音も高木も、「リョーマと仲良くしたい」「どの子・ドの子を皆で蔑むのが楽しい」という単なる感覚による行動で、善悪はその場では考えたわけではありません。それが結果的に「良いこと」になったり「悪いこと」になったりするだけで。園子にも、「良いこと」と思った行動が誰かの「悪いこと」になった経験がありました。でも生きているからには、選択し続けなければならない。結果をおそれずに、考えなければならない。園子のセリフが、答えのなかったこのドラマの答えなのだと思います。
単なる考察系ドラマかと思いきや、案外深く考えさせられるドラマでした。だからこそ、園子役にもう少し重みがあったらなあ…と、それだけが若干心残りです。
『シナントロープ』
考察といえばこちらの方が考察させられるドラマでした。時間軸のずらしも人間関係も複雑で、何気ない言葉や場面があとで意味を持ってくることもあり、毎週、観終わった後にあーでもないこーでもないと話を整理するのですが、忘れかけていることを確認したくてもネットが見られず(考察サイトの意見が目に入ってしまうので)困りました。
最終回は、絡まった紐がするする解けて、解き終わったと思ったら小さな固い結び目が残っていた…ような、爽快感と鬱屈をともに残すような後味でした。
水町の顔でスマホのロックが解除された場面だけでもゾクッとしたのに、ひき逃げ事件を解決した都成の新聞記事の「隣」に水町がいたというラストシーンでさらに鳥肌が立ちました。終わってからようやくネットを見ていたら、そのひき逃げの被害者がハシビロコウという考察も目にしてますますゾクゾク…。
とにかく脚本の構成が素晴らしい。『オッドタクシー』も観てみたくなりました。
7人目がいた…という推測は当たってはいましたが(すでにオープニングで登場していたという指摘もされていたらしいが)戸塚純貴ではありませんでした。
最初から話がしっかり組み立てられていたのか、連続殺人の動機や真犯人もそこまで不自然ではなく、最後まで楽しめました。
「どの子」がふたりいたという事実は唐突ではあったものの、「加害者が被害者のことをすっかり忘れている」というのは現実でもよくあることです。このドラマの視点は常にいじめ問題に置かれていて、ぶれることはありませんでした。
終盤では、高木の娘の花音がいじめの標的にされます。そして暗闇に閉じ込められた花音に光が差し込むところで、物語は幕を閉じます。
しかし、決してハッピーエンドではありません。高木がやってきたことは一生贖えないし、園子のトラウマも消えることはない。そしておそらく同じような傷を、花音も一生抱えることになる。最後に花音を照らした光はおそらくかつて彼女が手を差し伸べた相手であり、花音が選んだ「良いこと」が返ってきたとも言えるけれど、高木が過去に犯した「悪いこと」も花音へのいじめと帰結したわけで、結局良いことも悪いことも、この世界で循環し続けるのです。花音も高木も、「リョーマと仲良くしたい」「どの子・ドの子を皆で蔑むのが楽しい」という単なる感覚による行動で、善悪はその場では考えたわけではありません。それが結果的に「良いこと」になったり「悪いこと」になったりするだけで。園子にも、「良いこと」と思った行動が誰かの「悪いこと」になった経験がありました。でも生きているからには、選択し続けなければならない。結果をおそれずに、考えなければならない。園子のセリフが、答えのなかったこのドラマの答えなのだと思います。
単なる考察系ドラマかと思いきや、案外深く考えさせられるドラマでした。だからこそ、園子役にもう少し重みがあったらなあ…と、それだけが若干心残りです。
『シナントロープ』
考察といえばこちらの方が考察させられるドラマでした。時間軸のずらしも人間関係も複雑で、何気ない言葉や場面があとで意味を持ってくることもあり、毎週、観終わった後にあーでもないこーでもないと話を整理するのですが、忘れかけていることを確認したくてもネットが見られず(考察サイトの意見が目に入ってしまうので)困りました。
最終回は、絡まった紐がするする解けて、解き終わったと思ったら小さな固い結び目が残っていた…ような、爽快感と鬱屈をともに残すような後味でした。
水町の顔でスマホのロックが解除された場面だけでもゾクッとしたのに、ひき逃げ事件を解決した都成の新聞記事の「隣」に水町がいたというラストシーンでさらに鳥肌が立ちました。終わってからようやくネットを見ていたら、そのひき逃げの被害者がハシビロコウという考察も目にしてますますゾクゾク…。
とにかく脚本の構成が素晴らしい。『オッドタクシー』も観てみたくなりました。
『ザ・ロイヤルファミリー』
隣の競馬好きの「現実はこんなんじゃない」という長話に邪魔をされながらも(文句垂れながら結局最終回まで一緒に観た)、ザ・日9な展開に泣いたりワクワクしたり、楽しめました。
最終話では「ロイヤル馬が有馬記念を勝つ」と予想し、最後の最後までファミリーが優勝すると信じて疑わなかったのですが、そこはまさかの結果に! 勝ち切ったのは椎名のビッグホープ、ロイヤルホープ産駒の馬でした。椎名と山王はひそかに手を取り合っていた。こんなどんでん返しが待っていたなんて!
継承が行われるのは、親子だけではない。同じ志を抱く者の間にも、夢は受け継がれ繋がれていく。
椎名の「ホーーープ!!」という絶叫に山王の声が重なり、胸が熱くなりました。
敗れた芝の上にとどまり、いななき続けるファミリー。最後の一戦に勝ち切れず、心を残しているようにも聞こえました。よみがえるのは、「馬は勝ったことをわかっている」という山王の言葉。勝つ喜びがわかるのなら、馬は負けた悔しさもきっと感じている。耕一と栗須は引退が決まっていたファミリーをもう一年戦わせると決めました。最後の一年。ファミリーは国内から海外まであらゆる勝負で勝ち続け、最後の有馬で有終の美を飾り、今度こそ本当に引退しました。
ファミリーが耕一に残してくれたのは賞金だけでなく、思いもしなかった未来でした。正式な馬主として新たなスタートを踏み出したところでお話は幕を閉じます。希望に満ちた余韻を残す、素晴らしい結末でした。
ザ・日9ではあったものの、勧善懲悪がなかったのは良かったです。まあ、現実に存在する北稜ファームのモデルを悪役にするわけにはいかないでしょうし…。山王家の人々が有馬後に耕一へかけた優しい会話も印象的でした。
『じゃあ、あんたが作ってみろよ』
あと一週残して復縁した時点で、最後は結局別々になるのだろうなと予想はしていましたが、そのとおりになったうえ、やや性急な最終回でした。
原作が未完の時点でドラマ化すると、展開が強引になってしまったり、それまでの空気感と変わってしまったり、消化不良になりがちです(例→『凪のお暇』『婚姻届に判を捺しただけですが』)。最終回へ向かうにつれ、生まれ変わったはずの勝男が鮎美の気持ちを無視した行動を取ったり、南川が勝男への思慕を突然指摘される場面があったり、ややひっかかる場面が増え、これも原作を逸脱したラストになってしまうのか…と少しがっかりしてしまいました。
まあ、落としどころとしては自然だったと思います。ただ、勝男は生まれ変わったけれど、鮎美はまだ成長途中といった感じでした。わかりやすいキャラの勝男に較べ、鮎美は受け身で育ったせいかなかなか殻を破れずもどかしさが残り、演じたのが夏帆でなければ逆に反感を生んだのではとさえ思いました。
勝男は素晴らしかったです。これからどんな竹内涼真を見ても勝男にしか見えなくなりそうです。白い肌着をインする勝男…セカンドバッグを小脇に抱える勝男…「超イケメンなのにモテない」という説得力をこれほど持つ俳優はいないでしょう。
白崎や南川、海老原家の両親などまわりを取り巻く脇役たちも皆好演でした。
『小さい頃は、神様がいて』
最近流行りの考察や伏線も何もない、たそがれステイツで起きるさまざまなできごとを、夫婦の離婚を軸に時系列で描いていく、シンプルなドラマでした。
岡田惠和らしい、悪人の出てこない優しい世界。ただ、面白くない(笑)
中盤以降は別のことをしながら横で録画を流す(それでもだいたいわかる)だけでした。群像劇はたいてい誰かに共感しながら観る者だと思うのですが、この作品においては誰にも共感できませんでした。共感しようとするならば、あんが我儘だとか、渉が気が利かないとか、レッテルを貼るのは簡単でしょう。しかしそういう描き方はしていないし、そういう見方を求めていないように思いました。
あたりまえのことですが、人は皆他人。これまで歩んできた人生も、価値観も、幸せのかたちも、どれひとつとして重なることはありません。それなのに、家族だったり、恋人だったり、同じカテゴリーに入ると、相手に自分と同じ気持ちを持つことを求めてしまいます。相手が他人ということを忘れてしまうから。好きと言葉にすることも、ずっと隣で人生を歩みたいと伝えることも、忘れてしまうから。
時間をかけて渉とあんはようやく気持ちをすり合わせ、他人になったことで逆にふたりの人生を重ねることができました。ふたりの願いを同時にかなえる、最良のかたちだったと思います。
面白くないと思いつつ、結局最後まで録画をやめずに続けたのは、なんだかんだ居心地が良かったのかな…。
『べらぼう』
中盤に田沼様が退場すると、物語の大きな柱が失われたような気がして、やや勢いを欠いたように思いました。実際、渡辺謙はさすがの存在感でしたし、若造の松平定信にはヒールたりえる憎らしいまでの重々しさが感じられませんでした。そのぶん、蔦重と歌麿の確執が丁寧に描かれ、人間ドラマとしては見ごたえがありましたが。
しかし、最終回が近づくにつれ、空気は一変。当初から暗躍していた一橋治済に、ついに天罰が下ります。定信が企てた入れ替え作戦は、大河ドラマでは味わえない緊迫感と爽快感がありました。そして最後のピースが斎藤十郎兵衛だったことには思わず膝を打ちました。
これで写楽の正体が、数多のクリエイター総出のプロジェクトだったことに得心が行きました。このカラクリが明らかになる前、『べらぼう』ディス記事の定期連載がネットに上がっていたのですが、要約すると「写楽の正体は斎藤十郎兵衛って史実で決まってんのに何を今さら」という内容でした。そして斎藤十郎兵衛が登場すると、「こんなん水戸黄門じゃん!」とヒスっていました。
図書館に行かずとも、手元の四角い板に名前を打ち込めばナンボでも調べることのできる昨今、大河ドラマの展開を史実(歴史そのもの)と信じて観ている人は果たして存在するのでしょうか。まあ、ライターは歴史家ですし、大河「ドラマ」に「史実」という言葉を持ち込むバカバカしさを理解していないはずはありませんから、わざとこういう書き方をしてページビューを稼いでいるのでしょうが。
「東洲斎写楽は斎藤十郎兵衛というのが定説」「写楽の創作期間はわずか十か月」。このわずかな情報から壮大な復讐譚に広げることができる。これが歴史ドラマの醍醐味だと思うのです。今作は、一行で語られる歴史に肉づけするアレンジぶりが素晴らしい大河でした。そしてそれを体現した蔦重こと横浜流星、そして数多のクリエイターたち。権力に抗い筆で戦うまさにべらぼうな生きざま。江戸文化の華々しさと粋っぷりが思う存分描かれ、浮世絵好きとしては大満足な大河ドラマでした。視聴率が上がらなかったのは、戦国や幕末のような勝敗の分かれるわかりやすさがなかったからでしょうか。何度も扱われすぎて、題材としては行き詰まっているように思うのですが、「今度はどんなふうに戦を描くのだろう」「武将の誰々はどんなふうに演じられるのだろう」という楽しみも存在することは確かです。
そして来年、池松壮亮・仲野太賀がどんな豊臣兄弟を演じるのか。見ごたえがありそうです。
隣の競馬好きの「現実はこんなんじゃない」という長話に邪魔をされながらも(文句垂れながら結局最終回まで一緒に観た)、ザ・日9な展開に泣いたりワクワクしたり、楽しめました。
最終話では「ロイヤル馬が有馬記念を勝つ」と予想し、最後の最後までファミリーが優勝すると信じて疑わなかったのですが、そこはまさかの結果に! 勝ち切ったのは椎名のビッグホープ、ロイヤルホープ産駒の馬でした。椎名と山王はひそかに手を取り合っていた。こんなどんでん返しが待っていたなんて!
継承が行われるのは、親子だけではない。同じ志を抱く者の間にも、夢は受け継がれ繋がれていく。
椎名の「ホーーープ!!」という絶叫に山王の声が重なり、胸が熱くなりました。
敗れた芝の上にとどまり、いななき続けるファミリー。最後の一戦に勝ち切れず、心を残しているようにも聞こえました。よみがえるのは、「馬は勝ったことをわかっている」という山王の言葉。勝つ喜びがわかるのなら、馬は負けた悔しさもきっと感じている。耕一と栗須は引退が決まっていたファミリーをもう一年戦わせると決めました。最後の一年。ファミリーは国内から海外まであらゆる勝負で勝ち続け、最後の有馬で有終の美を飾り、今度こそ本当に引退しました。
ファミリーが耕一に残してくれたのは賞金だけでなく、思いもしなかった未来でした。正式な馬主として新たなスタートを踏み出したところでお話は幕を閉じます。希望に満ちた余韻を残す、素晴らしい結末でした。
ザ・日9ではあったものの、勧善懲悪がなかったのは良かったです。まあ、現実に存在する北稜ファームのモデルを悪役にするわけにはいかないでしょうし…。山王家の人々が有馬後に耕一へかけた優しい会話も印象的でした。
『じゃあ、あんたが作ってみろよ』
あと一週残して復縁した時点で、最後は結局別々になるのだろうなと予想はしていましたが、そのとおりになったうえ、やや性急な最終回でした。
原作が未完の時点でドラマ化すると、展開が強引になってしまったり、それまでの空気感と変わってしまったり、消化不良になりがちです(例→『凪のお暇』『婚姻届に判を捺しただけですが』)。最終回へ向かうにつれ、生まれ変わったはずの勝男が鮎美の気持ちを無視した行動を取ったり、南川が勝男への思慕を突然指摘される場面があったり、ややひっかかる場面が増え、これも原作を逸脱したラストになってしまうのか…と少しがっかりしてしまいました。
まあ、落としどころとしては自然だったと思います。ただ、勝男は生まれ変わったけれど、鮎美はまだ成長途中といった感じでした。わかりやすいキャラの勝男に較べ、鮎美は受け身で育ったせいかなかなか殻を破れずもどかしさが残り、演じたのが夏帆でなければ逆に反感を生んだのではとさえ思いました。
勝男は素晴らしかったです。これからどんな竹内涼真を見ても勝男にしか見えなくなりそうです。白い肌着をインする勝男…セカンドバッグを小脇に抱える勝男…「超イケメンなのにモテない」という説得力をこれほど持つ俳優はいないでしょう。
白崎や南川、海老原家の両親などまわりを取り巻く脇役たちも皆好演でした。
『小さい頃は、神様がいて』
最近流行りの考察や伏線も何もない、たそがれステイツで起きるさまざまなできごとを、夫婦の離婚を軸に時系列で描いていく、シンプルなドラマでした。
岡田惠和らしい、悪人の出てこない優しい世界。ただ、面白くない(笑)
中盤以降は別のことをしながら横で録画を流す(それでもだいたいわかる)だけでした。群像劇はたいてい誰かに共感しながら観る者だと思うのですが、この作品においては誰にも共感できませんでした。共感しようとするならば、あんが我儘だとか、渉が気が利かないとか、レッテルを貼るのは簡単でしょう。しかしそういう描き方はしていないし、そういう見方を求めていないように思いました。
あたりまえのことですが、人は皆他人。これまで歩んできた人生も、価値観も、幸せのかたちも、どれひとつとして重なることはありません。それなのに、家族だったり、恋人だったり、同じカテゴリーに入ると、相手に自分と同じ気持ちを持つことを求めてしまいます。相手が他人ということを忘れてしまうから。好きと言葉にすることも、ずっと隣で人生を歩みたいと伝えることも、忘れてしまうから。
時間をかけて渉とあんはようやく気持ちをすり合わせ、他人になったことで逆にふたりの人生を重ねることができました。ふたりの願いを同時にかなえる、最良のかたちだったと思います。
面白くないと思いつつ、結局最後まで録画をやめずに続けたのは、なんだかんだ居心地が良かったのかな…。
『べらぼう』
中盤に田沼様が退場すると、物語の大きな柱が失われたような気がして、やや勢いを欠いたように思いました。実際、渡辺謙はさすがの存在感でしたし、若造の松平定信にはヒールたりえる憎らしいまでの重々しさが感じられませんでした。そのぶん、蔦重と歌麿の確執が丁寧に描かれ、人間ドラマとしては見ごたえがありましたが。
しかし、最終回が近づくにつれ、空気は一変。当初から暗躍していた一橋治済に、ついに天罰が下ります。定信が企てた入れ替え作戦は、大河ドラマでは味わえない緊迫感と爽快感がありました。そして最後のピースが斎藤十郎兵衛だったことには思わず膝を打ちました。
これで写楽の正体が、数多のクリエイター総出のプロジェクトだったことに得心が行きました。このカラクリが明らかになる前、『べらぼう』ディス記事の定期連載がネットに上がっていたのですが、要約すると「写楽の正体は斎藤十郎兵衛って史実で決まってんのに何を今さら」という内容でした。そして斎藤十郎兵衛が登場すると、「こんなん水戸黄門じゃん!」とヒスっていました。
図書館に行かずとも、手元の四角い板に名前を打ち込めばナンボでも調べることのできる昨今、大河ドラマの展開を史実(歴史そのもの)と信じて観ている人は果たして存在するのでしょうか。まあ、ライターは歴史家ですし、大河「ドラマ」に「史実」という言葉を持ち込むバカバカしさを理解していないはずはありませんから、わざとこういう書き方をしてページビューを稼いでいるのでしょうが。
「東洲斎写楽は斎藤十郎兵衛というのが定説」「写楽の創作期間はわずか十か月」。このわずかな情報から壮大な復讐譚に広げることができる。これが歴史ドラマの醍醐味だと思うのです。今作は、一行で語られる歴史に肉づけするアレンジぶりが素晴らしい大河でした。そしてそれを体現した蔦重こと横浜流星、そして数多のクリエイターたち。権力に抗い筆で戦うまさにべらぼうな生きざま。江戸文化の華々しさと粋っぷりが思う存分描かれ、浮世絵好きとしては大満足な大河ドラマでした。視聴率が上がらなかったのは、戦国や幕末のような勝敗の分かれるわかりやすさがなかったからでしょうか。何度も扱われすぎて、題材としては行き詰まっているように思うのですが、「今度はどんなふうに戦を描くのだろう」「武将の誰々はどんなふうに演じられるのだろう」という楽しみも存在することは確かです。
そして来年、池松壮亮・仲野太賀がどんな豊臣兄弟を演じるのか。見ごたえがありそうです。
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